『アウシュヴィッツ死者からの告白』というドキュメンタリーを見ました。目を背け耳を塞ぎたくなる惨状の数々をある程度は知っていましたがユダヤ人の迫害にユダヤ人が加担したことは知りませんでした。具体的にはガス室まではドイツ兵が移送しますが、そこから先はユダヤ人の協力者が「更衣室で服を脱がす指示」をして「シャワー室(ガス室)への移動」「ガス噴射」「遺体の運び出し」「装飾品、金歯、髪の毛を剥ぎ取る」「遺体焼却」「骨を粉状態にまで砕く」「川に流す」ことをやり痕跡が一切残らないようにしていました。やはり当時のナチスドイツでも手を下すことを嫌だったのでしょう。それが功を奏した?かは定かではありませんけど敗戦後のナチスドイツに対する裁判では「私たちは移送しただけです」と主張して死刑を免れた元ナチスドイツ兵士が多く居たことが物語っています。しかしナチスドイツに加担したユダヤ人も日々苦しみ苛まれ当時は勿論、戦後もずっと不眠で苦しみながら生きていたようです。「同じユダヤ人なのに」と小さな子供から言われた時のことを死ぬまで忘れられなかった方も居たとのことです。とてもショックだったのは西側陣営にユダヤ人の大量虐殺の現状を伝えたにもかかわらず西側は既に自国に逃げて来たユダヤ人が自国民の職を奪っている現状下でユダヤ人を解放すると更なる自国民の不満が爆発し政府に対する反発が激しくなると考え、直ぐには動かなかったという事実が後に判明したことです。実際にアウシュヴィッツの解放はソ連軍によるものだったようですから西側諸国は最後まで動かなかった?のかもしれません。生き残った僅かなユダヤ人の中には「生き残って必ずこの惨状を世界に語る」と行動を起こそうとした人が居ました。後に実情を細かく記述して出版するのですが帰国後直ぐには出版出来ませんでした。それはユダヤ人が世界中から良く思われておらず、また故郷のギリシャに戻ると実家だった其処には知らないギリシャ人が住んでいて商売をして普通に暮らして居たからです。ユダヤ人が多く住んでいた一帯の家も財産も全てがギリシャ人の物になっていたのです。北方領土で日本人の墓石が橋や道路の建築資材になっているのを見て「何て酷いことをするんだ!」と泣き叫んだと聞きましたけど同じ光景が有ったようです。帰国したユダヤ人たちは食べていくことがやっとで復讐の出版は二の次でした。やがて出版された本も世界の片隅に埋もれていたというのが現実で陽の目を見るには時間が必要だったようです。しかし私たち日本人も朝鮮半島の人々や中国を始め大陸や南の島々の人々に酷い仕打ちをしたと聞きます。また「従軍慰安婦」「徴用工」「南京虐殺」「731部隊」等々『誇張されている』との意見も有りますから「だったらトコトン一緒に調査して互いが納得できる形まで持っていく」しかありません。実際に試みて平行線なのは分かりますし腸(ハラワタ)が煮えくりかえる思いを何度もしていることも知っています。そして過去が解決していないのに次々新たな問題が発生していることも知っています。例えば「軍艦島」「海女漁」や「ユネスコ世界遺産登録妨害工作」「レーザー焦射問題」等々ですが、それでも粘り強く世界に発信していくしか無いのです。アウシュヴィッツは今でも土を掘り返し遺品を探し証言を集めて新たな事実を発見しようとしています。「決して忘れてはならない」という姿勢が現在のドイツの信頼を生み出しているのです。日本もドイツを見習って信頼信用を得ることが諸外国の理解を生み日本の謝罪を受け入れて日本を心から許してくれるかもしれません。しかし喩え赦されたとしても決して謝罪の歩みを止めてはいけないと思います。国内には「いつまで謝罪するんだ!」という意見が有りますが受けた側の恨みは決して忘れられないのです。それを理解しなくてはいけません。最後に沖縄やアイヌ民族の他にも小さな民族が日本国内でも差別されたことを忘れてはいけません。人間は冷酷です。だからネット、学校の苛めや今回のコロナ禍の差別が無くならないのです。一人一人が自分の身に置き換えて考えてみる機会を与えられたのかもしれません。