私が考えていることが偶然ドキュメンタリーとして流れていました。それを元に私の考えを大きくプラスさせて本日は投稿させて頂きます(殆んど元が残っていないほど変わっています、スイマセン)。日本人は変わることを嫌います。「伝統を大切にするから」といえば聞こえが良いですが適応能力に乏しいというのが本当のところだろうと私は考えます。それは「島国だから仕方ない」と言い訳して逃げ続けた結果が現在の日本の衰退です。米国も衰退し没落の一途だった時代が有りました。日本がバブル景気(1986年12月~1992年1月)で米国のビルや土地を買い漁り、日本人観光客が世界中に散らばっていた時代です。父のブッシュ大統領が就任した頃からでした。何処かの国の総理が子供たちの大切さ=教育の大切さを国会で声高らかに演説したように米国は教育を根本から覆す改革を「実行」しました。一方日本は演説しただけで終わり経済同様教育も没落の一途です。米国は一方的に教師が教えるのでは無くて「考えさせる教育」を目指しました。簡単にいえば日本は「1•2•3」と知識を増やして行く教育を今でも続けています。確かに知識が豊富だと良いように思えますけど、現在では手元に携帯が有れば知識の豊富さなんて無意味です。一方米国は「0から1を生み出す教育」に大きく舵をきりました。その結果米国は新しい世界を創り出し他国より抜きん出た国に返り咲きました。IT革命を成功させたのはコンピュータだけに「0から1を創り出す教育」だったのです。では何故日本にバブルが訪れたのでしょうか?日本は敗戦で焼け野原になり何も無かったという環境が偶然整っていました。そこに松下幸之助氏や盛田明夫氏等が世の中に出て次々「無0」から「有1」を創り出した結果、日本の戦後復興そして経済成長に繋がりました。日本人は元来「1を2にする」ことは得意でしたので各々の社員たちは創り出された製品に付加価値を更に付けて売り上げを伸ばし日本の繁栄に繋がりました。しかしITが席巻し始めると付加価値作業では衰退し始めたのです。肉に衣を付けるような日常化した日本社会はガラパゴスになってしまっったのです。例えば日本が誇れる漫画やアニメは手塚治虫という偉人が無から創り上げたものです。本当はテレビもレーダーも日本人が最初に創り出した物ですが見下されて発展させませんでした。ヒロヤマガタ氏も芸術作品としては認められていませんでした。しかし唯一無二の物なんです。日本は老舗が多くあるように信用を重んじる国家です。逆に云えば新しいものは認めようとしない風潮なのです。それでいて外圧に弱いので海外が認めれば掌を返すから逆輸入が多い国です。全く新しい物を創らず付加価値だけで過ごしてきた日本人は優秀•勤勉と自惚れてきました。また新しいものを創り出せない特徴に加えて「継承」が大好きという悪習慣が日本を駄目にしています。「前例が無いから」という御役所仕事から脱却出来ないのは、ひとえに0から1を創り出す教育をしなかったからです。その教育をいつまで続けるんですか?このままでは日本の夜明けは永遠に来ません。黒船来航のような大きなショック療法が無ければ変われないアホな国日本。シン•全快堂も周囲の新患はゼロに等しいですが、これは私の実力不足ですから違います、トホホ。