今回は医学的な話は一切ありませんので「プラスになる話」ではありません(って、いつもプラスに成らねぇよ、スミマセン)。歌の歌詞に「大人に成り過ぎないようにテキトーに一笑懸命」というのが有ります。私は恥ずかしながら大人に成りきれて無い、大人として未完成な人間だと自分のことを常々思います。東洋医学の始まりは加持祈祷です。亀の甲らを焼いてヒビの入り方で吉凶占いをしたり、病は悪霊の仕業や悪行が原因という時代から一方は占いの道を、そして一方は医療的な進歩へと進んできました。「こんな非科学的な考え方だから東洋医学は信用出来ない」と考える人も少なからず居ます。それを私は否定しません。しかし例えばストレスを受け続けて精神的疲労が蓄積した結果、不眠症や食欲不振に陥り病気を発症することが有りますけど、ストレスを受けた延長線上には「嫌だ」という気持ちが有ることは理解出来ると思います。すると簡潔に表現するならば「嫌だと思っていると病気になる」となり非科学的な表現に聞こえます。こうなると逆もまた然別。私が自分を大人げないと思っているのは「そこ」なんです。「嫌なことはやらない」ということに徹しているのです。だから患者様に対しても無理強いはやらないようになりました。と言っても過去は違いました。「○○すれば良くなるんだから」「○○しなければ」と強く指導した時期も有りました。しかし無理強いすると続かないし身体が良く成っても精神的疲労が有りプラス•マイナス•ゼロと言った結果を多く見て悟りました「人間は納得した上で自ら動かないと真の健康には辿り着かない」と。だからアドバイスはしますが強制•強要•無理強いはしないという方針に決めました。私も大人に成りきれていませんが皆様も同じなんです。だから治療「らしきこと」はしますけど、後は治癒方向を標示し誘導しますが行くも引き返すも勝手というスタンスを取るようになりました。でも緩くし過ぎると収拾が着かなくなるので「時間厳守」等々は厳しくなっています。しかし予約も商品購入も全快堂から去るも自由。そういう精神状態、出来る限りフラットな人間関係からの治療が最も有効という考え方に辿り着きました。だから全快堂を「堅苦しくない感じ」と思って頂けたら『最高です!』(by巨人軍•岡本和真)。最近多くの患者様が「凄く身体が軽い」と口にされます。それを聞いた私の気分は「最高です!」よ。P.S.嫌なことでも避けられない時は「これは必要なこと」「この後には良いことが待っている」「これさえ終われば」と考えられるようになりました。