昨日『パリオリンピック』が閉幕しました(次はパラリンピックです!)。各競技の感動の数々には歳のせいか沢山涙してしまいました。今では「かなり」メダルを獲れなくても許される雰囲気になりつつ有ります?が、まだ期待されていてメダルを逃した選手のインタビューに「すいませんでした」「ごめんなさい」という謝罪には「謝らないで」と言いたくなります。今でも謝る選手が多いのに過去には国民の期待を一身に背負っても『期待には応えることが出来ない』と、自ら生命を絶った人が居たことを御存知ですか?以前このブログにも取り上げましたし全快堂には遺書全文が貼って有ります。彼の人柄が文面いっぱいに滲み出ている遺書は自堕落な私には読むのに辛過ぎます。でもすごくアバウトな表現ですが『偉い人』には一度は読んで頂きたいと思います。議員が偉い人とは言えないですが、彼らは自分たちを偉いと思っていますから是非読んで欲しいです。またオリンピック参加の為に某競技役員には交通費と良い席が支給されるのに選手は移動が自費だったり席が良くないことを聞くことも有りますから役員という偉い人たちにも是非読んで欲しいです。円谷さんは数個の悲劇的条件が重なったことに加えて真面目な性格が招いたと考えられます。その1つが初の東京オリンピックで満員の観衆の眼前で抜かされてしまったことです。それは元軍人だった彼の父親の教えが根本に有ったことが原因だったと。『みっともないから走り出したら振り返るんじゃない』という教えを守ったが為に疲労困憊•意識朦朧の状態だったので国立競技場に2位で帰って来た自分への大歓声と思ったのがベイジル•ヒートリー(英国)が迫って来て『逃げろ逃げろ!!』の大合唱だったのに気が付くことが出来なかった②オーバートレーニングで椎間板ヘルニアの診断を受け手術するも思わしく無い③心の支えだった婚約者と解消させられてしまう④前回の東京オリンピックで君原氏が棄権してしまい国民の期待が円谷氏に集まってしまった等々、考えると不幸の沼に引き摺り困れるように思えます。そんな彼の最期の言葉を噛み締め、本来『国民の為に』働くべき税金を貰って働いている偉い?先生方に読んで頂きたい。そして命懸けで自分の生活では無く『日本国民の生活を良くする』する為に働いて欲しいものです。でも勘違いしないで下さい。円谷幸吉氏は決して『悲劇のランナー』では無かったことを(詳しくは全快堂で読んで)。結果が良ければいい、でもトップが有れば次がいるんです。トップ意外を否定する風潮が薄らいだオリンピックになってきたことを、努力したことを認めるオリンピックになってきたことを嬉しく思います。P.S.本日休診です。