今更言うまでも無く日本は戦後、米国を凄い早さで受け入れました。そして戦後国民の多くが米国に憧れさえ持っていました。世界が『資本主義か社会主義か』の綱引きの時代、日本は米国によって政策を変えられた最高のモデルケースになりました。しかし米国が『正義の戦い、解放の戦い』と位置付け『世界の警察』を自負した最高のモデルケースは日本を最後に二度と現れていません。何故日本はそれほど迄に米国を受け入れたのでしょう。戦前の日本は財閥が有り、大地主と小作農が有り、身分制度が撤廃されたとは言え、歴然と経済格差が存分していた訳ですが米国の戦後政策で財閥の解体や農地改革で『国民の多くが恩恵を得た』結果、日本国民の多くが米国の政策を支持=米国寄りとなった訳で既得権益を取られた側は米国嫌いとなりました。特に長年、日本国民は苦しい生活をして活路を大陸に見出だそうと戦争を拡大して日清日露と勝利したにも拘わらず、一向に生活は楽にならず尚一層、苦しい生活が続いていました。そして敗戦。日本国民は失意のドン底に居ました。それが敗戦により自分の土地が持て、戦前通用していた通貨は使えなくなり、一時的に国民が経済的に平等になり、一攫千金のチャンスが誰にでも有ったのです。そこに朝鮮戦争の勃発で日本の景気はうなぎ登りとなった訳ですが、それが『米国の政策』と重なり米国の考えていた以上に上手く戦後復興出来た訳です。長い苦しい生活のトンネルから解放された日本国民は『米国こそ正義』と次から次に米国の申し出を受け入れて今日に至りました。では沖縄は何故米国の政策と衝突するかと言えば沖縄は、あまりにも多くの犠牲者の数=沖縄県民の全てが血縁者を戦争で無くしていたので米国に対する怒り、憎しみは計り知れません。また有無を言わさず自分の土地が米国に使われ一向に生活は楽にならず。頼みの日本は返還迄、沖縄を米国に差し出したままでした。こうなれば沖縄県民は『日本に不信感』『米国にも不信感』となり『沖縄返還』で沖縄全土が県民に返されると思いきや、返還前後で何も変わらず。その失望感は『第二次大戦二度目の敗戦』となり尚一層、日本(本土、大和)に対する怒りと不信感が増大したと思います。だから沖縄県民は本土の『沖縄より米国寄り』の政府を信用せず独自で米国と交渉しようと考えています。現在の米国への追随は危険も多いが在日米軍に守られてる点も多分に有る事実を踏まえて今後の米国と、それ以外の諸外国とのバランスを冷静に模索する必要が有ります。