12日(土)に中京競馬場のリレーマラソンに参加しました。本題に入る前に先日投稿したように10週間土曜に練習会をやりましたが1日だけ曇りの日が有り「ふるかなぁ?」と心配しましたが結局降らず全て練習会を完結させる事が出来て当日も土曜は晴れて楽しく完走出来ました。それがマラソンが終わった途端に今度の土曜は天気予報によると雨降り予想。もしも本当に19日に雨が降るとしたら「11週間連続雨降らずの土曜」を選んだ事になり「なんてラッキーなんだ!」と小峠ばりの叫び声を出したい気分です。当日は大会規定により5時間走り続けた訳ですが題名にしたように「日本人の生真面目さ」を見たような気しました。テレビのマラソン中継に映るトップ選手は42.195kmの1kmを平均3分台で走りますけど今回のコースはダートを含みますしコースが狭いうえにランナーが多くて抜かすのに困難な箇所が多数存在する悪条件が重なって「ゆっくりマイペース」で走るランナーには良いのですが順位争いやタイムを気にしているランナーにとっては辛いコースでした。コースの距離は1周2.5kmですから陸連登録の選手(テレビに映るような選手)でさえも最低7分ぐらいは必要なのにスタートから5時間が経過しようとするギリギリに襷を受け取っても次々とランナーはコースに出て行く。確実にコース途中で5時間が経過して自分が走っている1周は絶対にカウントされないと分かっていても。確かに「練習」と捉えて走っているランナーもいると考えられます。しかし会場に居た人しか分からないと思いますが、あれは「チームのみんなの走りの結晶を自分で途切れさせてはいけない!」という使命感にも似たものを感じずには居られませんでした。だから日本人はマラソン(我慢強さ、コツコツの努力)や駅伝(仲間との絆)が好きなんだと改めて分かった気がします。以前海外の人に「日本のマラソン中継の意味が分からない」と言われた事が有ります。彼は「結果さえ見ればいいじゃないか」と言っていました。確かに結果が全てですが「過程が大事」と考える日本人との考え方の違いが垣間見れた気がしました。西陽の中に走り出すランナーは敗戦濃厚な太平洋戦争末期に飛び立つ特攻機のように見えてしまったのは考え過ぎでしょうか。以前投稿したように日本人は一度始めた事を途中で止める事が出来ない気質が有ります。公共事業や原子力事業で赤字垂れ流しの記事をよく読みます。途中で止める勇気も大事だと思います。国の偉い方々、日本には『潔い(いさぎよい)』という言葉が有ります。血税を無駄にしないで下さい。しかしスポーツ、とりわけ今回のリレーマラソンはタイムアップの瞬間迄走り続けた美しさは感動的でした。(久々長文ごめんなさい)
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