宗教的な話しは今後も極力避けます。何故なら私が無宗教無宗派だからです。しかし聞いて良い話しだったので、また考えさせられたので今回の投稿を決めました。こんな考え方も有ると思って下さい。ある方から聴いた話しを凄く短くしましたのでご了承下さい。では本題です。人は泣きながら一人で産まれてくる。何故泣いているのだろう。それは『あの世』が素晴らしく(ベースに『輪廻』の考え有ります)、この世が辛く厳しく汚い世界だから本当は来たくなくて嫌で嫌で仕方ないから泣けてくる。また果たさなければならない使命が困難に満ちていて成し遂げられるか不安で不安でしょうがないから泣けてくる。でも生まれたからには使命を果たさなければならないから頑張る。それが生きる目的で達成は簡単ではないから『生きる事は修業』であり、簡単では再度同じような人生をまた一からやり直さなければならないので困難な道を選ぶ。毎日精一杯、誠実に大事に過ごさなければいけない。人生ではケガも有れば病気も有る。その他の困難も全てが修業だから徳を積む絶好の機会。喜んで挑まなければいけない。そして最期の時が来たら再び一人で『あの世』に旅立つのだが本当はこんなにも嬉しい事は無い。戻りたかったあの世への旅立ち。来た時(産まれて来た時)は泣きながらだったが最期は笑顔で逝けたら使命を果たした証拠。苦しむのは未完成だから未練が有る。だから笑顔で逝けるように一日を無駄に過ごさないようにしなければならないと。ん~。奥が深いですねぇ。私は何日間無駄にして使命は何だろう。それを探すのも修業かなぁ。そうなると某有名校の『清く、優しく、美しく(美しくは私には不要でした)』を目指して努力しなければ。困難を喜んで迎えれる人を目指さなくては。「困難なんて『こんなんに』簡単に乗り越えられる」ってありがたいお話に罰当たりでした。ありがたい、ありがたい。