凄く大事なことだけど人は簡単に死んでしまうものだということだけは分かっていて欲しいです。今回の新型コロナウイルス感染症の流行で何か一つでも「得るもの」が有るとしたら繰り返しに成りますが、それは「命の尊さ」であり「命の儚さ」を実感させたことだと思います。日本で暮らして居ると然程「命の危険」に直面することもありません。「戦争状態」ではありませんし、食品が配給でしか手に入らないような状態でもありません。確かに事件や事故が皆無ではありません。しかし戦後の日本では重度の持病が無い限り「命の危険性」を常に感じて生きている日本人は極少数だったと思います。だからこそアホな政治家が「民度」発言に繋ったと思います。この発言は今日は詳しく掘り下げませんけど米国の「黒人差別」、中国の「ウイグル自治区」「チベット自治区」、そして日本での「ヘイトスピーチ」等々の人間の醜さが根底に有るからこその発言だと私は受け止めました。そのことは後日投稿に回して、命の危険と隣り合わせでは無い日本人だからこそ「民度」とは違い「恐怖」という多大な衝撃の反動で自粛生活を受け入れたと理解しています。しかし70年以上の平和ボケ日本としては死とは隣り合わせでは無いこと、皆保険制度の恩恵が染み着いたこと、そして少しずつ解明されつつ有るウイルスに恐怖心も薄れ、まさに「歓楽街」という悲壮感と対称的な地域での感染拡大に繋っているのです。濃厚接触が危険と子供でも理解しているので「回し飲み」はしていませんけど「マドラーの使い方」に感染経路が有ると思います。だから歓楽街ではマドラー使用の注意または缶チューハイや缶ビール等々の「飲み切りタイプ」にするだけでも感染抑制出来ると考えます(缶楽街なんて)。まだ完全封じ込めが出来ていないどころか第2波、第3波の危険が迫っている現在。元気だった人が突然亡くなってしまうという危険性を持ちつつ「今日が最期の日」と考えて「一期一会」の精神で悔いの無い行動をしましょう。精神論に聞こえるかもしれませんけど、全力で生きていることは常日頃から大事な考え方です。投稿しながら「無駄に過ごすのは止めよう」「1分1秒を大切にしよう」と改めて自分に言い聞かせました。