いつが『奇跡』の1回目だったか分からない程、遡らなければならないですが人体について少し書きます。ヒトの身体は絶妙なバランスの上に成り立っています。以前書きましたが『神業』ですよ。無宗教無宗旨無宗派という宗教とは縁遠い私が唯一、神の存在を考えさせられるのが皆様の身体に触れた瞬間です。先ずは構造からですが本当によく出来ています。私は某大学病院の解剖学教室で医学発展の為に献体して下さった方々の御遺体を何度も見させて頂きました。その方々と御家族の方には感謝しています。ですから私は身体の全てを移植または医学に役立てて欲しいと意思表示して有りますし家族にも伝えて有ります。話を元に戻して生物誕生から幾度となく進化を繰り返してきた結果、集大成が人類なのですが精巧であるがゆえに少しの変位が痛みに繋がり少しの変異が病気に発展してしまいます。しかし変異が有ればこそ生物は環境に適応して進化して行くのです。全身の血管を全て繋ぐと地球を二周半などと言いますが、そこまで長ければ途中で切れたり詰まったりするのが当たり前だと思います。しかし日本人の平均寿命を考えても投薬や治療があったとしても凄いと思いませんか?コレは精密と対応能力があるがゆえに出来る事です。毎日痛みや病気で傷付いた身体を完全ではないにしても元に戻す行為は患者様の協力が有ればこそ。その協力が毎度お馴染みの『睡眠(休養)、運動、食事』なんです。治療とは共同作業で患者様の努力無しには成り立たないのです。しかし勘違いの甚だしい傲慢な治療人は『俺が治す』と上から目線で命令口調で患者様と向き合います。そこで奇跡の二つ目。気持ち、精神、精神力の存在です。治療家は神ではありません。いくら治療しても治す力が無い、または治す気力が無い患者様は優れた医師であっても治せません。皆様は優れた素晴らしい身体を先祖から貰ったのです。その寿命を途中で途切れさせないように使いきる義務と使命が有るのです。