全快堂には旧全快堂の時から『円谷幸吉』さんの遺書が全文が貼って有ります。選挙の時期になると以前にも投稿しました。何故なら書かずには居られないからです。繰り返しになりますが是非読んで頂きたい。円谷幸吉さんは今さら私ごときが説明する必要も無いほど有名です。東京オリンピックで銅メダルを獲得した方です。しかし東京オリンピック(1964年10月)の次の大会1968年メキシコオリンピックの前(1月)に自ら命を絶たれてしまいました。時計の針を東京オリンピック直前に戻します。大変失礼ですが円谷幸吉さんは然程というよりも全く期待されていませんでした。国民の注目は『君原健二』氏か、前年『裸足の王者アベベ』の世界記録を上回る記録で走った『寺沢徹』氏への期待が高く円谷氏は「第三の男」にしか過ぎなかったのです。それでも東京オリンピックの7ヶ月前に初マラソンで2時間23分31秒で走り、その3週間後に2時間18分20秒で君原氏に次ぐ2位でマラソン代表に選ばれたのです。ところで語り継がれている国立競技場に入ってからのラストスパート出来なかった理由は今では考えられない「走り過ぎ」調整の失敗と断言出来ます。しかし皮肉にも「その方法しか」円谷氏が東京オリンピックにマラソンで出場し「銅メダルを獲得」の偉業を成し遂げることは不可能だったのです。今と成っては円谷氏が東京オリンピックのマラソンに出場したかったかは誰にも分からないですが、円谷氏のメイン種目1万メートルは6位に終わったところで1週間後に名誉挽回のチャンスを与えられたと思ったとも云えますから九分九厘「出来ることなら」という前置きの考えだったと推察出来ます。それはスタート直前の映像に映っている円谷氏が運動会の朝の少年のように笑っていたからです。「期待されていない自分は伸び伸び、だけど国民に恥じない走りをするだけ」と考えていたのかもしれません。しかし蓋を開けてみると期待の君原氏も寺沢氏も全く来ない。「これは俺が何とかするしかない」と日本国民の期待を一身に受けてしまった。そしてゴール直前で抜かれた喪失感は次回のオリンピックで「きっと雪辱を晴らしてくれるであろう」という日本国民の期待となり円谷氏を苦しめたのです。過度な練習による故障や疲労の蓄積を弱音として吐き出せば良かっただろうけど「男らしくない」と誰にも話せず、また唯一話せる相手だったで在ろう恋人がオリンピックの邪魔?と破談にされた後に結婚してしまった絶望感。それらが円谷氏を悲しい行動へ導いたのかもしれません。相変わらず「前置き」が長過ぎますけど「やっと」本題です。「住み良い日本に必ずします」と、有権者に誓い期待を背負って立候補する候補者諸君!円谷氏や他のオリンピック出場選手たちのように、また幕末維新の志士のように真剣に政治に取り組んでいる政治家が何人居るのか?口ばかりの「政治家生命」は「禊(みそぎ)」さえ済ませばゾンビのように生き返るし落選しても政党の力で復活当選する。悲壮感が全く感じられない。もっと真面目に政治に取り組んで頂きたい!決して私利私欲に走らず、万が一間違いを犯した時には逃げ隠れせず国民に対して説明責任を果たして頂きたい。ロシアのウクライナ侵攻以前から経済が立ち行かない状況だった与党の政治が駄目なのと野党のだらしなさ。そして選挙に行かない国民の責任。使い途をハッキリさせる筈の報告も与野党共にダンマリ・議員数の「マイナス先送り詐欺集団」・ガーゼマスクの無駄と領土返還の叶わないのに血税を渡した大物は婦人と共に捕まらない。「こんなアホな選挙なら投票に行っても何も変わらない」という失望感を抱いても仕方ない。しかし投票率が低いのは痛烈批判に成っても政治家への危機感を与えない。投票率が上がれば「国民は自分たちを見ている」とアホでも気がつく。誰に投票するかは自由だが投票には行こう!