昨日は休みを貰ったので資料整理と早急に処理しなければいけないことを片付けて以前から見たかった『ラーゲリより愛を込めて』を観ました。主に第二次大戦終結後の満州で捕虜となった主人公がラーゲリ(捕虜収容所)で生死と隣り合わせの理不尽な収容所生活を送りながらも家族を思い、人間性を失わないように努力する物語です。初めは敗戦のショック、終戦後も続く軍隊内の上下関係と互いを憎み合うように仕向けるソ連兵たちに荒んで凍り付いていた周囲の人々の心が主人公の発言や行動で、やがて解け始めて「皆で『domoy(帰国)』ダモイしよう」と一つに成っていくも……。2022年頃公開の作品でしたから結婚式のシーンでは会場内のテーブルにアクリル板とマスク着用でラーゲリだけでも息苦しいのに楽しい筈の結婚式迄もが意図的なのか偶然なのか不自由さを感じずには観れない映画でした。しかし私は映画を観終われば自由に成れます。でも現在ロシア(殆んどソ連?)に攻撃されているウクライナは国が消滅して国自体がラーゲリになる可能性があるのです。既に高い塀に囲まれ「天井の無い収容所」と呼ばれていたガザ地区は更に良くない方向への道を歩んでいます。世界各地にはニュースにもなっていない紛争や迫害、暴力等々が溢れています。でも日本も生活保護家庭が増加の一途で「真綿で首を絞める」ように、水の入った鍋に蛙を入れて茹でているように、ジワジワ困難な国に没落しているのです。それは何故か?ロシアの選挙でも「昔に比べれば」「とりあえず現状では生活出来ているから」と変革しない大半の人々が居るように、日本でも政治が国民生活改善を「真剣に」考え無くても「とりあえず」「まあまあ」と波風を立てない国民性が垣間見られるからです。しかし世界の紛争で考え方が変わり、指導者が代わりと激変しているのに日本に影響が無い筈が無い!政治家の裏金にスキャンダルに大事な舵取りの国会を使って良いものだろうか。そろそろ重い腰を上げて選挙に行かないと「こんな筈じゃなかったのに」となる日が然程遠くない気がする気持ちになった休日終わりでした。