「映画かよっ」「だいそれたことを」って思われる究極の題名ですから本日は特に長くなります。『幸せ』の定義は各々違いますから一概に『幸せ』と決め付けれる筈がありません。しかし究極の話になれば死ぬ時には財産を持って行くことは出来ません。身体一つで旅立つのです。だから「私の幸せは遣いきれない金銀財宝に囲まれて生きることだ」という極端な人で在っても結局は何も持たずに旅立つのです。それならば『幸せ』の定義は「自分が幸せだと自覚すること」であり「死ぬ直前まで苦痛が無く生活し安らかに逝くこと」が万人の幸せの定義と言えます。ここで断っておきますが本来「がん」は痛みを伴わない病気と言われています。しかし現代は医療の処置により栄養を補給し意識をハッキリさせて苦しむ時間を引き延ばしていることが多い?ので「苦しむ怖い病気」と思われがちですけど、本来は死期が分かり安らかに逝く病気なのですから「がん」は過去において幸せの病気だったのかもしれません。しかし病死は嫌ですよね。結局「幸せ」とは健康で生き、笑いが多く痛みが無く安らかな気持ちで寿命を終えることで「老衰」にしろ病死にしろ最期に「ああ、幸せな人生だった」と思えれば『幸せ』ということですから「定義」は無く他人が決めることではありません。では本題の答えは無いのか?嫌々それが意外に簡単かもしれません。「思いっきり大きな呼吸が楽に出来る状態を保ちつつ逝ける」というのが私なりの答えです。やはり究極は「息が出来る」ということは幸せであり「息が苦しい」のは悲劇だと思われます。それは死の直前まで、直前だからこそ、痛みや痺れは感じ無くなっても息苦しい(生き苦しい)のは分かると思われますから。つづく