不器用で「クソ」が付くほど真面目だった『大西瀧次郎』氏のことを知っていますか?奥様『淑恵』さんのことを知っていますか?私は恥ずかしながら詳しく知りませんでした。それどころか間違った知識を持っていました。大西瀧次郎氏は『特攻の父』と呼ばれた方です。だから私は言葉通りに受け取っていた浅はかな知識でした。250kgの爆弾を落とせば確実に飛行機よりも速く落ちる→速ければ撃ち落とされる危険性が減る→攻撃力は上がる→パイロットの生命が助かる可能性は格段に上がる=日本の悲劇(戦争の惨劇)が少しでも回避出来たかもしれない。それなのに重い爆弾を飛行機に括り付けたことにより飛行機性能が低下し狙われ易くなり、大変失礼な表現をさせて頂くならば『無駄死』にが増えてしまう愚策の立案者。私は大西瀧次郎氏のことを長年軽蔑していました。しかし事実は違っていました。「過去の事実と思われていることなんて殆んどが都合良く螺曲げられている」という考えも有ります。しかし当時の多くの上官たちが口では「お前たちだけ逝かせはしない、必ず後から逝くからな!」と特攻機を見送っておきながら戦後平然と生き延びた人たちの多かったことか。しかし大西氏は昭和20年8月15日の終戦、玉音放送を聞き翌16日に「出来るだけ長く苦しんで死ななければ」と介錯を断った上で割腹し内臓が飛び出し、頸動脈と胸を刺した時に医師の手当てを拒み、出血が大量に流れるも10時間以上苦しみ亡くなられるという壮絶な最期を迎えたと言われています。それが不器用な性格がゆえの大西氏なりの責任の取り方だったのでしょう。そんな人が多くの若い生命を失わせる世紀の愚策を立案すると思いますか?発表したら立案者ですか?現に発表時に非常に不可解なことが有りましたが興味が有る方は調べてみて下さい。事実大西氏は2通の遺書を書いて有ります。1通は奥様の淑恵様宛て、そしてもう1通は若き此からの人たちに。そしてその内容は『今後の日本のことを頼む』ということが記されていたのです。特攻=九死に一生を得ることさえ叶わないことを考える人が、生きて未来の日本を若者に託すと思いますか?そんな人だから「誰かが汚名を受けなければいけないのなら俺が受けようではないか」と決して言い訳せず多くを語らず、それでも多くの若い生命を失わせた事実は有るので壮絶な最期を「せめてもの償い」として迎えたと想像出来ます。またその様な方が選んだ奥様も立派な人生を歩まれます。長くなりますので詳しくは書きませんが特攻隊員の御遺族の方々や特攻隊員で在りながら生き残った方々の前で土下座の謝罪、日本が侵攻した海外での謝罪と『謝罪行脚』と特攻隊員の方々の慰霊碑を建てる為に、行き倒れるほど苦しい生活を送りながら僅かづつ貯めたお金で成し遂げます。ただ悲しい苦しい話だけで終わらない為に淑恵様の最期の言葉を。『私、得しちゃった』だったそうです。旦那様の人柄のお陰で子供のいない淑恵様は生き残った多くの特攻隊員に晩年まで大事にされ慕われたことを伝えたかったのかもしれません。酒池肉林、自堕落な生活を反省する「せめて」一日にする日が今年もやって来ます。私たちは国の命令とは言え亡くなられた方々に胸を張って誇れる日本を造ったと言えますか?「無駄死に」にしない為にも誰かの為になる生き方を一緒に考えませんか?