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自然死と溺死

2016.09.25 | Category: 院長ブログ

怖い題名ですが今回は『死』について考えてみましょう。マイナスイメージを持つ人が多いのは当然ですが以前投稿したように『人は生まれた瞬間から死に向かって歩みだす』と言われている訳で冠婚葬祭のどれも人生においては大事な行事です。本来、自然な亡くなり方は『枯れて死ぬ』のです。痩せて、痩せ細って、そして痛みや飢えを感じず安らかに眠るように亡くなります。しかし現代の医療は輸液して点滴して輸血して胃ろうして痛みを感じながらタップンタップンの身体になって亡くなります。だから棺桶を除き込むと思いっきり浮腫んでいて家族の方が『えっこんな顔だったっけ?』というほどの変わり様。よく見られる光景が『よく頑張ったね』と言いながら『こんなに管をいっぱい付けられて苦しかったね』と何本も管を外しているんです。しかし病院も先がある程度予想出来る命であっても患者の為?色々手を施さなければ存在意義が無くなってしまいます。また現実問題として、そうしなければ病院も儲からない。綺麗事だけでは経営破綻してしまい、次に来る救える命も救え無くなってしまうのです。しかしその結果、棺桶が重たいと葬儀関係者の人が呟いていたのを聞きました。その人はこうも言ってました。『今の人はみんな昔の倍は有るんじゃないかなぁ』『これは溺死だよ』と。多くの人が自宅で最期を迎えたいと願っています。しかしやはり多くの人が意に反して病院で最期を迎えています。家庭医や訪問医の不足で、警察による検死によって家族に迷惑を掛けたくないとの事からです。でも家族に見守られながら時間の経過と共に命の炎が静かに小さくなり消えていく場合、痛み止めの使用が有っても、それを望む人が多いのもまた事実です。本当に難しい選択ですね。誰もが『まだ大丈夫』と考えていますが一寸先は闇ですから若くて元気でも家族と話し合ったり文章で残しておく必要が有るかもしれないですね。最後に私の大好きな戦国武将の藤堂高虎の200条に及ぶ家訓の第一節を要約して終わりに致します。『朝起きたら今日が最期の日であると思って生きなさい。そうすれば今日一日を無駄に過ごす事は無い』と。今日が最期かも知れません。また意識が無くなるかも知れません。旅立つ鳥は後を濁しません。どんな良い人であっても最期が肝心です。私は延命治療は受けず脳死を受け入れ使える臓器は全て使って頂き献体もします。皆様、証人になって下さいね。

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全快堂

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院長宮木 謙三