自然も生命も常に動く。そしてヒトの成長・老化は止まらない。庭園でも建物でも完成した瞬間から壊れていく(日光東照宮の柱は一本逆になっています)。完璧は有っても一瞬である。身体も同じで『完治した』は常に流動的です。生まれた瞬間から死に向かって行く人類は成長し、治った瞬間から壊れていくのです。細胞レベルでは『死と再生』を常に繰り返しています。枯山水には石と石の間に空間が有ります。あの空間が少し狭くても広くても良くないのです。身体も余白が必要ですが『身体の余白とは何か?』となります。それは生命力に任せる余地を残した治療だと私は考えます。治療家の想像を超えた動き、痛み、治癒力に任せるべきなのです(痛みは制御の為に必要悪)。例えば間違った身体の使い方で痛みを発症したとします。それが身体からのサインなのです。しかし正しい使い方を学習する前に痛みを無くしたとします。すると人は治ったと勘違いして何も学習せず間違った使い方を続けてしまいます。食事もまた然りです。痛みを取り去るだけの治療は治療家のエゴで有って患者様の身体の為にはならないと思います。枯山水に空間が有るようにハンドルにも『あそび』が有ります。治療にも余白は必要で完全を求めたら駄目です。治療家の想像を超えた人体の回復力、動き、治癒力、そして生命力に任せるのです。東洋医学は自然治癒力を促す事が基本です。だから未知の病気や症状にも対応出来るのです。全快堂も治癒近くまで誘導して最後は患者様の身体に任せます。その人に合った運動、睡眠、食事を毎回必ずアドバイスします。すると身体は自然と回復して行きます(生きます)。まさに生命力の奇跡に触れた瞬間です。全快堂の患者様なら理解出来ると思います。投稿も削ってダラダラ書かないように努力します(無理ですね)。
無駄を省く2 »