24年もやってると飲食店なら常連客と言われるような患者様が全快堂には沢山みえます。すると面白いことが有ります。殆んどの患者様は何も残りませんけど一部の患者様の中には「あの患者様が帰った後には必ず」という跡を残す人が居ます。それを見ると「いつもだなぁ」「どうして?」と考えさせられるのですが何だと思いますか?それはその患者様が帰った後には必ず靴下の毛玉が残っているというものです。毎日朝昼夜と掃除機がけをしているので直ぐに分かります。次の施術院は天然木の床にしてスリッパ無しで歩いてもらうパターンにするつもりなので今のように絨毯に毛玉が着き難いので名残惜しく思えるほどの毛玉の存在。最近はコロナの影響で友人宅に行くことは少なくなりましたけど、もしかしたら友人の間では有名な人になっているかもしれません。昔から『無くて七癖』なんて言葉が有りますけど一人時間が多くなった現在、身辺チェックする時間に充てることも良いかもしれません。
『D・D・S』なんて略語はありません。勝手に私が作っただけですが最近メディア等で、無意識に相手を「イラッ」とさせる言葉が盛んに取り上げられています。やはりコロナ禍により多くの人々が些細なことや言葉の端々で「イラッ」とすることが多いのでしょう。このブログを何年も読み続けている人は知っていると思いますが「でも(D)・だけど(D)・しかし(S)」は相手を不機嫌にさせる言葉と紹介しました。私は『悪魔の言葉』と思っています。前回『心・技・体』で「『心』は性格」と説明しました。その心は環境の影響を受ける裏付けとして、紹介する側とされる側や家族や夫婦が驚くほど似ているのから「そのように」結論づけたのです。昔から「夫婦は似てくる」的意味の諺が多く有りますが長年一緒に居る老夫婦は見た目も似てきますけど性格や考え方や行動・発言までも似てきます。感じ悪い人の相方は「ほぼ100%」感じ悪いです。此方が「こんにちは」と言っても返事が無い夫婦って信じられます?旦那が挨拶しなければ奥さんもしないという似た者夫婦が来るんですよ。先日も感じ悪い患者様の予約開始時刻になりましたから呼んで入って来てもらい私が違う患者様のマッサージしている横を通りすぎたので「こんにちは!」というと「…」聞こえて無いと思えるほどです。マッサージを受けていた患者様が起き上がるようにして入って来た患者様を見ようとしたほどです。その患者様とは普通の声の大きさで何回も何年にも渡って多方向から会話が成立していますから難聴ではありませんし高齢者でもありませんしマスク着用以前からだったので明らかに口は動いていません。また笑みさえありません。「たまたま聞こえ無かった」のでは無くて「毎回」返事が無いから徹底したものです。過去の私なら「帰れ!」と言ったと思いますが「困って来た人だから」「きっと周りの人から嫌われているんだろうな」と受け入れている自分に「少し人間が出来たのかねぇ」と感心させて頂いています。高齢者では無い挨拶出来ない?しない夫婦の今後を勝手に心配しています。挨拶したら何か減ると考えているのか?確実に減るのは人間性に対する評価なのは間違いない。挨拶は「いの一番」です、アピールする絶好の機会です。内向的だから、人と接するの苦手だから、本当は人と話をするのは嫌では無いけど自分からは無理。そう相談させることが多いけど相談する方の多くは相手に与える「第一印象が良くない=挨拶に覇気が無い」という共通点が有ります。動物は本能的に損得勘定をします。敵か味方かは最も大事なことで野生動物では生死に直結します。ウサギがライオンの前に普通なら行かないと思います。人間関係も同じで「この人と付き合って損することが多い」と『膚(はだ)で感じる』と距離を置きます。覇気が無い人の判断材料は挨拶時に分かるので重要なものから順番に①声が小さい②笑みが無い③声の張りが無い④口が開いていないです。これらは全て無表情に繋がるのです。無表情は「あの人は何を考えているのか分からない」に始まり敵か味方か?損するのか得するのか分からないから「近寄るのは止めよう」に繋がります。人との付き合いは「六分」と言われています。ベタベタも良くない程好い距離感が必要です。ベタベタせずに相手に「私は敵ではありませんよ」とアピールするのは『挨拶』なのです。ファースト・インパクトは大事であり大切です。次に無意識の「言葉」特に端々、「表情」特に笑みが人を集めのるか離れるのかを左右します。人が集まる=人の気が集まる=人気者。知らず知らず相手に不快感を与えないように。でも(D)職業柄「○○が多い!」と不快感満載の私は一番の嫌われ者です。
北京オリンピックが現在開催中で日本選手たちが毎日活躍しています。主に武道で『心・技・体』という言葉の聞きます。そのままで理解出来るので今さら私が説明するまでもありません。しかしこの言葉は武道やスポーツをやっていない患者様にも当てはまると考えて、私なりの解釈を今回は紹介します。順番通りではありませんが「体」は基本的な身体です。生まれながらの備わった体質を含めたものです。身体が強い弱い、身長が高い低い、体重が重い軽い等々を示しますので成長過程で『適切な対処』をしないと取り戻すことは難しいです。適切な時期に「適切な対処」と記述しましたけど最近「適切な時期に適切な対処」をしても仕方ないと思われていたものが、完全ではありませんが改善することが分かってきました。「心」は今回「性格的なもの」と解釈して話を進めます。「心」は成長過程で努力すれば簡単ではありませんが意外と容易に変わります。但し気づき又は教えてもらわなければ変わりません。全快堂には患者様たちが家族・夫婦・同僚等々で数多く来院されますので分かりますが紹介者と新患の方が「似過ぎている」という言葉がピッタリなほど「そっくり」なので「心」は成長環境と同時に周囲の人々の影響が過分に「心」の形成に関わっていると考えられます。そして最後が「技」ですが、ここでの「技」は「体」が体質だったのに対して「技」は日々努力で変化する『健康を含めた身体』と考えます。本来の「技(わざ)」も毎日のトレーニングや鍛練の繰り返しの結果会得するものです。例えば柔道も最初から攻撃を習って黒帯に成るのでは無く、受け身の稽古から始まり少しずつ上達していくことは知られています。これに非常に似ているのが「生活習慣」です。身体も一気に変化するのでは無くて日々少しずつ変化します。投稿済みですが「健康は絵画では無くてパズルに似ている」のです。それも小さなピースの難しい大きなパズルです。「これさえやれば健康に成る」のでは無くて小さなピースの集大成が健康なのです。睡眠が十分でも食事が悪ければ不健康、運動しても過度で疲労困憊では不健康です。多くのピースがバランス良く集まってこそ健康に近付きます。ここに「(正しい)施術」も含まれます。その心技体が全て揃って健康だと思いますが分かると思いますが残念ながら『健康の完成形』は絶対にありません。だから難しいし自分だけの考え方では無く他人から見て(診て)もらわなければ誤り易いのです。その方法は各々の考え方に任せます。健康診断、人間ドック、家族や友人、施術家の力を借りるのも良いです。何故素人でも良いのか?といえば人間ドックで全て異常無しで1ヶ月後に亡くなるケースも有るということは「死も生も」専門家でも分かっていないということです。分かっていればオミクロン株を治せる筈だし不妊施術は100%成功するし毎年流行るダイエットも完全版が出来る筈だし色々な病気の施術方針が多岐にわたる筈が無いのですが現実は散々なものです。だから専門家でも少し分かっているだけで完璧では無いのです。しかし勿論専門家は私たちよりは確実に分かっていますから指示には従って下さい。とにかく「誰も確実に分かっていないのならば」過去の人々の経験を踏まえると共に最新の情報を生かしつつ『自身の節制と努力』を加えて日々を過ごしましょう。
自動運転の技術が日進月歩で進んでいます。これは素晴らしい事です。しかし皮肉にも軍事技術の発展が有っての恩恵です。無人偵察機や無人の戦車等々の精度も更に発展して軍事衝突がゲームのようになることでしょう。但し攻撃される側は人間です。それも多くは弱い人々です。地球の裏側で女性や子供たちが戦争の犠牲になって私たちは快適な暮らしをしているのです。「そんな事は無い」と言える人は江戸幕府初期の頃の生活様式で暮らしている完全自給自足を実行している人だけでしょう。例えば携帯電話もインターネットも使用しない。カーナビや万が一の時のエアバッグの全てが軍事技術からの転用です。今開催中の北京オリンピックのニュースも衛星技術ですから文明の発展に戦争が無ければ生きていくのは「ほぼゼロ」と言えます。完全自給自足の生活に目覚めたCMが流れていましたけど現状維持さえ無理で後退する一方です。それが現実なのです。だからといって戦争を肯定するつもりは皆無です。少し見方を変えて、人には向上心が備わっています。これは生き続ける力にも繋がります。動物を見れば分かりますが生きていく為に他の生命を奪います。しかし人間は他の生命を奪わ無くても生命活動を維持出来る筈なのです。そこで効率化を考えると皺寄せは自然に行きます。でも文明が発達した現在または今後の未来なら自然への皺寄せが無くても発展していける筈なのです。しかし結局「平和の祭典」のオリンピックでさえ各国の「いがみ合い」が見え隠れする始末。「競いあう」と「争う」は、どちらも向上心由来かもしれませんけど似て非なるもの。そこを考えさせられる連日のオリンピックです。向上心は良いが度が過ぎると火傷します。多くの人類に必要な言葉『足るを知る』奥が深い言葉です。
私の説明が下手で質問されます。子供のマスクですが筒をスッポリかぶってもらい首元(肩)の部分で支える感じです。確かにオープン気味ですが「マスクを着けることに慣れる練習」なので。これで子供のマスク説明は終了。さて、ワクチン接種して副反応の後遺症に苦しんで国に文句を言いたくなる気持ちは理解出来るし、感染して亡くなったり酷い後遺症に苦しんでいる人が「国のワクチン接種が遅かった」と文句を言いたくなる気持ちも理解出来ます。でもこうなると「結局どっちにしろ文句が出る」ということになります。社会主義国家では無いんだから『自己責任』しか無いと思います。「それは自分が後遺症が無いから言えるんだよ!」と言われそうですが最早「運」のレベル。ワクチン接種しなくて感染するのか?しないのか?ワクチン接種しても感染するのか?しないのか?副反応が無いのか?酷いのか?感染して後遺症が有るのか?無いのか?全く分からない。これを国の責任にするのか?病院の責任にするのか?接種した人の責任にするのか?だから強制するのは良くないと思う。強制するのなら責任を持って欲しい。結局人から聞かれたら「分かりません」と応えるしか無いです。色々な理由(体質、宗教、心情等々)から接種しない人を責めないことだけは守りましょう。
コロナ禍は子供たちの味覚までも蝕んで行くように感じます。私が調べたのではありませんが大人たちの味覚は2週間で変わると。これは2週間有れば舌の上に並んで味を感じる味蕾(みらい)という受容器が再生する時間から割り出されたと推測出来ます。実際に濃い味の好きな人に薄味の食事で我慢させると2週間ほどで「慣れる」という話は数多く聞きますから信憑性は高いと思います。但し薄味は我慢出来るのに醤油やソースを「かける」癖は2週間では直らないと聞きますからテーブルに調味料を置かないことをお勧めします。しかしこれが成長期の子供たちだと厄介なことに「半年間必要」と以前紹介したレシピ本の著者『安部司』氏が語っています。また薄味に慣れることも大事ですが情けないことに「日本人なのに」新しい味覚の開発も必要になってくる子供たちが非常に多いとも聞きます。「日本人なのに」と記述したのは「日本人にしか分からない味」が有る為です(投稿済み)。それは「旨みの味」いわゆる「出汁の味」です。出汁の味を旨みと感じず薄味と感じるだけとは情けない。更に素材の味を味わうことに慣れていないから「最近の子供たちは好き嫌いが少なくなった」と喜んでいるとしたら大間違いです。化学調味料やエキスの添加物で素材本来の味は吹っ飛んでしまうほどの濃い味付けに慣れてしまっているのです。また苦く無いピーマンや特有の香りのしないホウレン草等々の開発も進んでいるから素材本来の味が消滅している現状も話をややこしくさせています。だから子供たちの味覚矯正には「薄味」「素材の味」「出汁の味」そして「化学調味料や添加物の味覚からの脱却」と数多くのトラップが横たわり大人と違って時間が必要なのです。また以前危惧して投稿しましたが「画一化された味覚」の存在です。「牛丼=吉野家等々」「カレー=CoCo壱等々」やコンビニで一流シェフ監修の商品が何でも手軽に買える時代だから家庭で作ったり奥様が作った料理では満足出来ないという不届き者も生まれてしまう始末。私は図々しいし大食漢で遠慮という言葉を知らないので少食の友人宅で夕食を頂くと少食の友人の食欲が増すと重宝がられた成長期を暮らした結果、他人の家での肥満児人生を謳歌したので分かりますが(どんな話やねん!)昔は各家庭の味が有ったんですよ。それがみんな同じ味を美味しく感じたとしたら気持ち悪いことです。人工的な味から離れましょう。ノンカロリー、糖質ゼロや人工甘味料は特に危険です。大人になるまで、成っても素材の味、自然の味と薄味や出汁の味を味わって欲しいものです。最後に「嫌いな物は無理やり食べさせないで子供の好きな物を与えてあげたい」と親としての懐の深さに酔っているアホ親に言いたいのは「好き嫌い」を助長させているだけと一日も早く気付くことを祈っています。
高級食パンが流行って随分時が過ぎました。日本人のパン好きは米国の思惑通りに定着しました。更に朝食に限ってみるとパン食の多さには驚きます。だから身体を触って「小麦を減らしたら?」と初めての患者様に言おうものなら凄い勢いで「何でパンが駄目なんですか!」と怒る人もいます。「勿論駄目では有りません。あくまでも提案ですよ」と伝えても大好きな小麦は現代の日本人にとっては絶対に守死しなければならない領域のようです。どうやら新しい患者様の地雷を踏んでしまったようです。しかしパンだけでは無くてスパゲッティー、うどん、スウィーツ、スナック菓子等々と凄い量の小麦を日本国民は消費しています。雑草を除去したり害虫から守って成長させる農薬と不妊やアトピーや花粉症を始めとするアレルギーとの因果関係を記述し始めると長くなりますので今回は止めておきます。しかし皆さんが長蛇の列に並んで得意気に「高級食パンは、モチモチでしっとり、フワフワで美味しい値段だけのことは有りますよ」と笑顔なのに「美味しいのは当たり前ですよ。通常の食パンよりも糖分と油を入れ過ぎくらい入れてモチモチフワフワにしてありますから」と言ったら気分を害するのは必至。確かに全ての高級食パンが糖分と油の過多とは言いませんが見極めが大事なことは確かです。企業の『企』は「くわだ(てる)」と読めますから数多くの企業の中には「『安ければ喜ばれ』『美味しければ喜ばれる」』のが企業の使命で、私たち企業も儲かるwin-winが一番です」と胸を張っているかもしれませんけど忘れてならないのは『安全性を蔑ろ(ないがしろ)にしない』ということ意識して頂きたい。「蔑ろ」は軽蔑(けいべつ)の文字です。本当に良い裏表の無い企業の商品を購入することをお勧めします。
3回目のワクチン接種済みました。ワクチンの有効性は置いといて、不特定多数の患者様に接するので不安感を与えてはいけないと考えて早速接種しました。第1回、2回目が「ファイザー、ファイザー」だったので交互接種を希望して『モデルナ』接種が出来て満足です。昨日の接種ですが皆様の予想通り今のところ「何も副反応は無し」でした。完全に効力を発揮するには暫く時間が必要ですけど、日本をパンデミックにならないようにするには国民の一人一人が「出来ることをやる」という責任があると思います。しかし勘違いして欲しくないのは「ワクチン接種」だけがパンデミックを避ける方法ではありませんし色々な問題でワクチン接種が出来ない、やらない人々がいても自由ですから誹謗中傷は絶対駄目です。但しマスクや手洗いや密を避ける等々があるので自身が各々可能な範囲でピークアウトへ繋げて子供たちの感染を防ぎましょう。昨日の投稿で質問を受けましたけど簡単に表現すれば薄い小さな紙袋(可能な限り開放的な物)を頭からかぶる感じです。子供たちに完全を求めるのでは無くて「大人たちが抑える努力」をして子供たちの負担を軽減しましょう。
2歳以上の明記が無くなりましたけど子供たちにもマスクを着けさせたいと大人たちが悩んでいます。そこで提案が有ります。マスクは呼吸機能の発達していない子供たちは「濡れた不織布マスク」だと呼吸困難の危険性が有ります。大人なら苦しいと外すので良いですけど、それでも尚子供たちにマスク着用を強いるならばズレ難く安全で子供たちが進んで着けたがるマスクを作るべきです。「そんなマスク有れば苦労はしないんだよ」と言われそうですね、だから作るんです。先ず問題点は①ズレる②嫌がる③危険性です。①のズレるは小さな顔だからズレ易いので発想の転換で頭から「かぶる」タイプにすると良いと思います。②の嫌がるが最大の問題点ですが、ここで日本の「お家芸」アニメを活用して変身後のヒーローが子供たちが着用するマスクを着用して闘うパターンを作って憧れさせるのです。小さな子供は幼児番組でガチャピン、ムック、とらじろう等々や、少し大きな子供たち用には仮面ライダーやセーラームーン等々が積極的に番組や絵本でマスク着用シーンを垣根を越え各々の子供たちが好きなマスクを多様に用意します。ズレ難い用に『鬼滅の刃』の祢津子の竹を咥える発想も捨て難いです。③の危険性は子供たちの体温は高いので熱中症・脱水は特に注意が必要ですし症状が見えないと困るので口以外の部分は薄い通気性の良い繊維や太いゴムをツムジ辺りでクロス等アイデア次第です。今こそ社会全体で考える時です。大事な子供を守りましょう。誰か作って!
高齢者が増え続けているし今後も益々増え続けることは誰もが分かっている。当面の間は葬儀会社と介護関係の産業は同様に儲かる筈である。しかし儲かると分かれば数多くの企業が参入してくるので収益を保持し続けるのは簡単では無い。最初の頃に参入した企業では施設の老朽化に伴う建て替えの時期が迫ってくるし新規参入の施設は魅力的なので利用者が逃げないように神経を尖らせている。しかし何処も施設側の問題は資格者不足である。当然のことながら高齢者が増え施設が増えれば働き手が必要になるのに介護士等の有資格者が絶対的に足りないのである。すると求人数が増えるが政府の補助金が出ても待遇が良くなければ離職率も上がり続ける。そこで発生してしまうのが介護士等の質の低下。介護士等による高齢者の虐待の事件が連日のように紙面を賑わしているが事件は氷山の一角だし表面に出てきて無いものを合わせればゾッとしてしまう。間違って欲しくないのは「殆んどの介護士等の方々」は誠心誠意の介護に当たっていらっしゃいますから安心して良いことをお忘れなく。但し求人広告の新聞折り込みに関していえば「病院スタッフ募集」「ガードマン(交通誘導)募集」「清掃係募集」そして「介護士等の募集」ばかりであるから引っ張りダコなのは分かります。面接をしても人材確保が優先となれば多少のことは目をつぶるケースも無いわけでは無い。では私たちが将来介護施設に入居する場合に「何を基準に選べば良いのか?」となってきます。以前も話題にしましたけど見学に行くことは当然ですが「時間」が大事です。その作業の時間に人員の余裕が有ればスタッフが充実している可能性が高いという「あくまでも」目安にはなります。入浴介助も大変ですが見ることは難しいでしょうから食事を見ることをお勧めします。本当に食事の介助は大変です。そこで大手居酒屋チェーンが介護事業に乗りだし頑張っていると聞きますし、最近では3Dプリンターで食材をペースト状から再び食材の形や触感に戻して食べる側への配慮に気を配る等の話題も有ります。また介護者の負担軽減の為に器具を装着させたり資金の豊富な施設では介護用ロボットの導入も有るそうです。しかし介助施設巡りも大事ですが、私たちが「今」やらなくてはならないことは筋力低下を防止することです。介護の資格を取得させる側に回った会社や取得者の技術向上指導の側に回った会社も有りますが介護士等の資格者が足りないことは事実ですし海外からの人材確保も益々難しくなるので「自分の身は自分で守る」しかありません。それはたった二つの器具不要の家の中で出来る簡単な筋トレと日々の生活習慣改善が自身の将来を左右します。介護ベッドの上で後悔しないように明日からでも今日からでもありません!「今から」という気持ちになりましょう。