ブログ投稿を始めて既に1670回に迫ろうとしています。以前も愚痴った話ですがスイマセン。HPを持ったのは「患者様に治療中に話せなかったことを説明するツール」として持った為に『宣伝』という意図はありませんでしたが案の定、「私どもでホームページを作りませんか?」の営業が多くて本当に迷惑です。また「検索順位を上げましょう」の営業も。そうなると検索順位は業者がやってる訳で「検索順位=人気」ではないことになります。飲食業では問題になりましたけど、治療業界でも業者に頼んで上位にしてもらっているなら最早「医業=商売」となり「儲けよう」という邪心邪念の気持ちが治療に反映されることになり「大丈夫?」という気が私はします。以前投稿しましたけど昔の人は大事なことを『言葉遣い』に込めました。先日の「息」も、以前の「気」も。ネガティブな言葉遣いをすると力が弱くなりポジティブな言葉遣いでは力強くなることは有名ですが治療を商売と考えている人が行う治療は多少なりとも違うと思います。困っている人を「食いもの」にする悪徳業者が居る一方、更にその悪徳業者を騙して「食いもの」にする詐欺集団がいると投稿したことが有ります。上には上が居ますねぇ、いやこの場合は下には下か?突然ですが『劉備』の人気は「民に重税を徴収して自分たちだけが裕福な生活をしなかったから信頼された」と。だから負け戦で逃げてばかりでも民衆は彼を信じて一緒に行動したのです。「先ずは民のことを思う」を置き換えれば「先ずは患者様のことを思う」となります。投稿済みで繰り返しますが「人の為=『偽』」ですし、企業の「企」とは『くわだてる』と読みます。邪念や邪心に陥らないように「清く正しく」悪魔の囁きに負けず今日も頑張ります!清く正しく美しく、あっこれは宝塚か。美しくは不要でした。悪霊退散!コロナ退散!
本日はコラム風に。私は同じ床屋に15年ほど通っている。投稿済みですが「男は気が小さいので行きつけを作る」と。「めんどくさい」という人も居ますが居心地が悪いのは自身の要求を主張出来ていない証拠で、相手先を変えるか自身が我慢するしかない訳で、居心地の良い場所を「見つけた」のは「言わなくてもいい」となり結局「男は気が小さい」となり女性には敵わないのである。私の頭は常にタオルを被っているので現在の髪型を知っている人は家族以外居ないのですが簡単に表現すれば床屋に行ってもバリカンだけで済む髪型です。そして本日の本題。床屋で料金を支払う時に「バリカンだけだから⚪⚪円です」と、いつも支払っているのに今日は店主の奥様が「⚪⚪円です」と。「えっ数百円だがいつもより高値だ」と思った瞬間、奥から店主が「バリカンだけだから」と、そこまで言いかけると奥様が「キッ」と睨み付けた途端に店主の声は一瞬で消えた。私は何事も無かったように言われた代金を支払い店を出た。店主も私も女性には敵わないのである。そういえば以前に新人君が顔剃りをしていて私の顔を少し傷つけて出血させたことが有った。新人君は謝り店主も謝ったけど奥様は「あ~あ、大丈夫大丈夫、ちょっと出血しただけだから」と。勿論傷つけたことなどは仕方ないし気にならない。でもウイルス性肝炎等の感染リスクが気になったのである。それに冷静に考えると「貴女が大丈夫と言う立場ではない筈」となる。しかしその言葉をグッと飲み込みヘラヘラ苦笑いした情けない自分がいた。どうもあの奥様は苦手だなぁ。そろそろ床屋を変える時期が来たのかなぁ。それとも「言うべきことを言って居心地を良くすればいいだけのことじゃないか」と、くよくよ考えることが女々しい。んっ?「女々しい」と表現するは結局「男は力が強いが心は弱い」から男性に表現する言葉遣いですが、本来女性には失礼な表現である。また「女の腐った」という表現も、全く持って失礼な言葉遣いである。男社会の『やり放題』『愚の骨頂』『パワハラ全開』ともかく一度ここで情けない自分ではございますが男を代表して全世界の女性に対して謝罪させて頂きます。誠に申し訳ございません。では話を戻して、男は事無かれ主義、わざわざトラブルを作るより自分が身を引くに限る生き物である。結果私という一人の客を失ったのである。繁盛店ではあるが「たった一人」少し違うが「蟻の一穴」は馬鹿にしない方が良いのである。その床屋とは全く違うが全快堂も注意しなければ。そこで患者様にお願いがあります。全快堂の残念な点を言って下さい。言い難いなら投書箱にお願い致します。天狗になりたいけど儲かって無いし知識も無ければ、そもそも技術も無いから天狗に成りようが無い(ちくしょーっ)。何卒、何卒末永く御支援御鞭撻のほど宜しくお願い致します。
新型コロナウイルスは怖いけど治療薬も予防薬も「どちらが出来たって期待しない方が良い」です。「それを言っちゃ~おしまいよぉ」と『寅さん』の声が聞こえて来そうですけど、よく考えてみて下さい。そもそも単純な風邪の治療薬さえ有りません。出されているのはビタミン剤です。インフルエンザのワクチンは有りますが「ワクチン接種をしても罹患した」と聞いたことがあると思います。「ワクチン接種したから酷くならなくて済んだ」という人の気持ちは分かります。時間と金を使ってインフルエンザに罹患して「何でだよ、どうしてインフルエンザになったんだよ、金返せよ!」と『カイジ』なら言いそうですが誰にもワクチン接種しなかった場合の病状が分からないから、とりあえず自身を慰めたい気持ちは分かります。確かに似たようなウイルスを接種すれば身体のウイルス対処する反応が早くなると思います。だから私も施術家の端くれとして患者様に迷惑を掛けたら申し訳ないと考えてインフルエンザワクチン接種を致します。しかしインフルエンザも毎年ワクチン接種しても罹患する人が多くいます。昨年~今年の日本のインフルエンザ罹患数も南半球の罹患数も少なかったですけど、これは間違いなく「マスク、手洗い、ソーシャルディスタンス」の効果です。でもインフルエンザウイルスは毎年広がり天然痘のように地球上から無くなることは不可能だと思います。何故なら世界中の人が移動するしウイルスも生き残りたいので変化するからです。だから治療薬が出来てもウイルスは即変化して治療効果は限定的になるだけです。結局世界中の医学に携わる人々や首脳陣たちは「完璧は無理だから、この辺りで」と、落とし処を考えているだけです。一応効果が期待出来る治療薬やワクチンが出来た段階で「(終息には程遠いけど)少しは安心だから」と何とか納得?するのが良いところでしょう。多くの日本人が性格的に「感染者が一人もいないのが理想だけど無理なのは理解している。だけど日本全国の合計で1日⚪⚪人くらいにはしたい」と考えているのでしょうか?10人かなぁ、30人かなぁ?やっぱり0人?それとも『WHOの終息宣言』待ち?そろそろ日本独自の妥協点を模索しなければならない時期ではないでしょうか、本気でオリンピックを開催するなら。でも第3波の気配を感じます。思い過ごしで有って欲しいですが。
うつ病に次いで増加傾向の「アルコール依存症」について投稿させて頂きます。私も酒が大好きです。全快堂を始めた頃に患者様を集めて呑み会を開きました。集会所を借りて酒も食べ物も持ち合いの会でした。今ならコロナで考えられないですが大宴会になったことを思い出します。飲酒は男性の方が断然多く女性の4倍だというデータも有りますが、詳しく調べてみると男性の飲酒量習慣と量共に減少傾向にあるのに比べて女性の飲酒習慣と量共に増える傾向にあると報告されているものが有ります。これはコロナ禍以前のデータなので現在は分かりませんが、男性に比べて女性の働き方は派遣やバイトやパートが多いです。コロナ禍の現在は、どうしても正社員よりも雇い止めされ易い傾向に有りますから経済的なストレスに直結します。また旦那の在宅勤務と子供の家時間が増えてのストレスが共に増えれば家族が寝静まった時間から深夜の通販番組を見ながらの「ちょっと一杯」が至福の時間なのだとか。それが「ちょっと」なら良いのですが一杯がイッパイになったとしたら。それどころか女性は「男性の半量で肝障害」「短期間で依存症に」と警鐘を鳴らす医師もいます。1日の適量は「ビール中1本」「日本酒1合」「焼酎0.6合」「ワイン4分の1本」「ウイスキーダブル1本」と言われています。酒に弱い人や高齢者、そして女性なら更に少なくて良い筈です。生活が日常を取り戻して家族が居なくなると専業主婦なら自分の時間が戻ってきます。「キッチンドリンカー」の危険が増えて依存症になると考えるのは容易なこと。呑むなとは言いませんけど、旧仮名遣いの『医』は『醫』と書きますよね。薬にも毒にもなるのが酒です。但し「醜い(みにくい)」とも書きます。全部自分に言っています(ちくしょーっ!)。忘年会や新年会、感染リスクの無いリモートで有っても飲み過ぎは禁物。今年こそは反省する前に注意しましょう。P.S.上記の酒量は勿論「or」であって「&」じゃありませんから。「そんなに呑めるの?」と言った患者様が居ましたから念のため。
コロナに感染すると後遺症になる人とスッキリと回復する人がいるそうですが、とにかくコロナの後遺症は苦しいらしいです。肺胞というガス交換をする末端が硬くなってしまうから「膨らまない=酸素が流入し難い」し、流入出来ても「ガス交換し難い」から息苦しいの極み。想像は難しいですけどイメージするなら酸欠だから「高山病」に長時間なってる感じ。頭痛、肩こり、吐き気に激しい倦怠感と想像するだけでも嫌だねぇ。でも後遺症だからと休んでばかりという訳にもいかないから調子が悪くても社会復帰せざるを得ない。すると今度は周囲の環境が本人を苦しめる。同僚や先方が白い目で実際見ているかもしれないし、単なる被害妄想なのかもしれないが精神的に追い詰められる事態に。世界的な経済不調は収入減という形で表れる。こうなると肉体的、精神的、経済的というトライアングルが出来上がってしまい抜け出すのは難しい。そうで無くてもマスクは息苦しいし化粧をしていれば化粧崩れが気になったりゴムが原因で耳が痛くなったり頭痛や肩こりに。感染が拡大し始めた頃から「新型肺炎で死ぬか金銭的ダメージで倒産し自殺するか」と言われたけど「大袈裟」と言っていたのに現実味を帯びてきました。だから「うつ病」迄は進まなくてもネガティブ思考の人が増えていると仕事をしていても感じます。こんな時でも悪い輩は詐欺に精を出しているから「たくましい」という表現は適当ではありませんが「それくらい強く暮らしていきましょう」と言いたい。生まれた時は裸一貫、何も持たずに生まれてくるんだから、死ぬ時だって何も持たずに逝けばいい。そう考えると少し気が楽になって「もう少し頑張ってみよう」という気持ちになりませんか?死ぬ気になれば何でも出来る。贅沢は無用。立って半畳寝て一畳、飯は喰っても二合半。綾小路きみまろ氏が言っている通り『駄目になったら戻るだけ』ですし、がばい婆ちゃんが言っている通り『人生は死ぬまでの暇つぶし。暇つぶしには仕事が一番ええ』と。人生を達観した人々は違うなぁ。今日も頑張りましょう!
今回精神的な話題です。患者様を含めて多くの人々に会って自分のことが分かっていない人の多さに驚きます。勿論私も例外ではありません。そのギャップは何処から来ているのか?それは「自分が思って行動、発言をしている」のと「他人の受け止め」は必ずしも一致しない点に有ると思います。相手の精神状態の状況が時として変化する場合も含めて評価が違ってくるからです。まず他人から見た自分は「大丈夫?」と言ったとすると、相手の精神状態が良ければ「優しい」と感じることが想像出来ますけど落ち込みでいる時には「お節介な人、放っておいて!」「気楽な人!所詮他人ごとなのよね!」と自分の意図するものと違う受け止め方をされる可能性があるからです。また勘違いが生じることも考えられます。先日私がコードレスのイヤホンをしていて開院準備をしていて肩を叩かれる迄、私に話し掛けていた患者様に気が付きませんでした。しかしその患者様は遠くから「おはよう」と何度も叫んでいたのですが私が聞こえていないので肩を叩いたのですけど、もしも患者様の精神状態が不安定なら「私のこと無視しているわ」と受け止めるかもしれません。他にも今ならマスク越しの笑顔は伝わっていないかもしれません。すると「無愛想な人」となってしまうかもしれませんよね。そんな時は日頃の発言やコミュニケーション、行動や発言が大事になってきます。次に自身のことは、常に安定した精神状態なら良いですが喜怒哀楽が有りますし肉体的にも睡眠十分で疲労感も無い時も有れば疲労感満載、睡眠不足の時も有ります。そして精神と肉体の片方または両方の時も有れば「映画を観た」「可哀想な話を聞いた」時のように強い刺激が加わった時の場合も考え方に変化が有ります。そこで注意しなければならないのが情報です。情報が真実なのか、正確なのか。時間的な誤差は?意図的に誘導されていないのか?ということです。誰でも自分が正しいと思いたいです。良い人と思われたいです。そこに間違った情報や悪魔の囁きが加われば人は簡単に変わります。今世間を騒がせている持続化給付金詐欺。巧妙に話を持ち掛けてくる輩がいます。犯罪の片棒を担がないようにしましょう。また一概に悪いとは言えませんけど不安だらけの現在『新興宗教』が流行るタイミングです。自身が「救われた」と満足していれば他人が口を挟む筋合いではありません。とにかく「私は騙されない」「私だけは影響を受けない」と思っている『あなた』が、結局は「最も自身を知らない」と思った方が良いでしょう。自身の評価は世間が決めるものですが間違って欲しくないのは「世間の評価ばかり気にして自身を偽って生きること」です。また時代が変われば評価も変わることも有ります。私は常々「自分が分からない」と思って生きています。
先日「ディープフェイクポルノ」の件で摘発された事件が有りました。私は再三再四投稿していますが『超超アナログ人間』なので携帯電話さえ使いこなせません。だから今後生きていくうえで大変な困難に遭遇することは予想されます。しかしその困難とは捉え方が間違っていました。私の考えでは困難とは「便利か不便か」「時間の浪費か短時間か」という程度で考えていました。しかし元国営放送のアナウンサーが『アイコラ』という技術で他人の水着画像に顔を貼り付けられていた事を理由で大きな仕事を逃したと告白していました。勿論フェイクなのは会社側も承知していたのですが「イメージが悪い」との理由から外されたと。こんな理不尽なことが有りますか?他人の人生を狂わしてしまう技術には早急な法整備が必要と思います。やった側は軽い気持ちかもしれません。しかしもしも重要なポストの人々がフェイクによって発言内容を書き換えられて相手方が信じてしまえば商談等々が破談する可能性も有りますし、もしも各国のトップ級の人物のフェイクなら戦争に発展する可能性さえも有ります。写真が動画になり声紋さえ加工されて本人と疑う余地が無くなったら何を信じたらいいの?大変失礼かもしれませんけど、あまり興味の無い芸能人の不倫問題もフェイク?こうなると逆にトランプ大統領のように「それはフェイクだ!」と逆手に取って乗り切る手段も出てくるでしょう。しかし「おれおれ詐欺」だって「風邪引いて」と声を変えなくても、フェイク画像から堂々とテレビ電話での詐欺も将来発生したら、あなたは見破れますか?やはりアナログ人間は絶滅危惧種ですね。
神経は体内に豊富に有ると考えている人が多い。それが一般人なら良くても治療する側に多いことには違和感が有ります。私のような立場の人間が医師の先生方に物申すのは恐れ多いことではありますけど医師の中でも皮膚を重視しない方がおられることは確かです。検査の目もレントゲン、CT、MRI等々の検査機器は体内を診るものに重点が置かれています。「皮膚なんて見れば分かること。検査機器は無用」ごもっとも。しかし皮膚を調べる機器を進化させれば医学は急速に進歩すること間違いないと考えます。先に述べたように神経がもしも体内に豊富ならば『がん』により蝕まれた病巣が広範囲に広がって手遅れになることが無い筈です。それほど体内の神経は手薄なのですが、一方「皮膚」は感覚が鋭いです。蚊などの「虫刺され」や熱い物に触れた時も瞬時に分かります。レースのカーテンが微かに触れても分かるのは神経が豊富=センサーが豊富ということで人体は「皮膚こそが大事」と考えて神により?創られていると思います。したがって治療のポイントも「皮膚」に有ると考えています。私が重要視しているのは勿論「腸」です。しかし治療ポイントは皮膚ですから鍼も症状によっては深く刺入しますけど殆んどが接触鍼か刺入しても1~2mmです。皮膚は非常に多くの情報をくれます。また皮膚への治療は驚くほど効果が有ります。乾燥の次は低温と皮膚には辛い季節が続きますがスキンケアをしてバリアを壊さないように注意しましょう。
日本学術会議のことを先日投稿しました。但し言葉足らずで誤解を受けたことが分かりましたので続編を投稿させて頂きます。森友問題で人命が失われているのに(他に加計、桜を見る会、自粛期間中の旅行等々)再調査しないという態度が政権に対する国民の不信感を与えているということは否めません。これは政権側に問題が有りますので始めに承知して頂き読んで下さい。さてメディアもフェイクニュースとは言わないまでも「情報操作」するかの如く国民を政権不信に先導しているように思えます。確かに6名は政権側とは意見の相違が有る、又は有った人物かもしれません。そして正式な政府見解が発表されていない現時点では、あくまでも想像でしかありませんけど「政府の方針に障害と成り得る見解の持ち主を除外した」と捉えられることは多くのメディアや国民の感じるところだと思います。結果任命せず問題になっているのですが、それならば「日本学術会議は過去に自分たちの意見に合わない人々を排除したり学問の自由を奪ったことは無いのか?」と問いたい。日本学術会議が発足(1949年)当時はまだ日本が戦争当事国で危険視されていましたので「軍事研究は行わない」という声明発表を1950年と67年にしました。しかし現在の世界情勢は激しく違っています。『眠れる獅子』だった筈の中国は今や米国を凌駕する勢いです。中東や北朝鮮も何時暴発するか分かりません。ロシアも共産圏の再構築に余念が有りません。では「日本の現状は?」となると北方領土は3000億円渡しても返還されず北からの脅威は未だに消えず、北朝鮮はミサイル発射を繰り返し尖閣諸島には引っ切り無しに中国船が迫っています。もし中国が突然実力行使をして「尖閣諸島」に上陸したら日本はどうするのでしょう?「尖閣諸島は無抵抗で渡しますから日本国民の自治権は保証して下さい」が通用しないことはモンゴルに対する政策、チベット自治区や香港への対応を見ていれば分かることだと思います。さすれば時代に対応して国立大の大学院での自衛に関する研究等も当然しなければ『座して死を待つ』ことに成りかねません。勿論専守防衛に徹して間違っても先制攻撃が有ってはなりません。しかし今日の世界情勢を見る限り永久平和などは「絵に描いた餅」でしかありません。自民党の独裁政治のような長期政権がメディアの「自民党憎し」という意識になり、報道の偏重を助長させているのかもしれません。しかしメディアがフェイクニュースや情報操作ではいけません。事実のみを正確に伝え、公平中立の立場を堅持し受け止める側に委ねることがメディアの指名だと考えます。長くなりましたが結論を申しますと「政権は不都合な人物の任命もする」「学術会議は時代に対応した研究もする」「メディアは社説等々は良いが社の方向性を押し付ける内容で多くの紙面を使わない」ということです。日本学術会議に言います。学問は日本国民を守る為に最良の方法を考える術です。戦争は絶対に避けるべきです。但し「抗う」ことも時には必要です。その衝突を回避する術と、衝突するなら最小限の被害で済む方法を考えることが日本学術会議に求められているのです。
NHKのBSPでやってる『ヒューマニエンス』では今夜15日20時から「腸 脳さえ支配する?」という題名でやります。是非とも見て下さい!腸は偉いんです。脳よりも偉いんです。勿論内容は分かりませんけど題名から推察するに腸の素晴らしさを教えてくれる内容だと思いますので必見な筈です。