最初に報告が有ります。2月29日のブログに『烏骨鶏を貰って下さい』のお願いをしましたが静岡県の患者様が引き取って下さる事が決まりました。御協力ありがとうございました。後の内容は読まなくてイイですよ。少し難しい話題、重い話が続いたので、たまには『うっ、滑稽(こっけい)=烏骨鶏』な話をちょっとだけ。呑みに行く相手で「こんなにも話題が違うの?」と思うくらいの話を投稿します。このメンバーと呑むと店からウルサイと言われるか周囲の見ず知らずの人達と一帯で呑むか、どちらかしか無い時の話をします。まず童謡の話になり『赤い靴(正式名知りません)』の後半『異人さんに連~れられて行っちゃった~』は誘拐の唄だとAが言えばBが『ハッピーエンドの唄だ』と譲らない(どちらも違うけど)。最終的にBは歌詞を間違えて理解していたと判明。悲しい境遇の女の子は『イイじいさん』に連れられて行ったと思っていたらしい。店内大爆笑!続いて『巨人の星』の唄で「思い~こんだら試練の道を~」という歌詞を『重い~コンダラ』と思っていたらしい。『コンダラって何?』って聞くと真面目な顔して『グランド整備に使う重くて引っ張って使う丸いやつ』と。それってグランド整備用具のローラーの事?その名前がコンダラ?またもや店内大爆笑!たぶん俺達は馬鹿の集まりと思われていたに違いない。最後は本当にクダラナイ話。思いっきり笑って息を吸おうとした時にブタ鼻になって、また爆笑。酔っているし手が付けられない状態(想像つくと思いますが)で店を後にしました。やっぱり読まなくて良かったんじゃないですか?すいません。
いやいや私も世間的には立派なクソジジィですが、あまりにも腹立たしい出来事が有ったので汚ない言葉を使ってしまいました。『小さなお子様方、真似しないでね、ごめんなさい』反省します。久々に人生行路@の登場ですよ(分からない人は最初の頃のブログを読んでみて下さい)。先日『浦和レッズ』と韓国のチームとのサッカーの試合で終了後に韓国の選手がピッチに巻いていたテーピングを剥がして棄てたのを注意したが拾わなかったので拾い集めて渡すと再度投げ捨てた。激怒した浦和選手と乱闘寸前になりました。勿論浦和サポーターも韓国選手がピッチを去る迄ブーイングで怒りを表していました。私が怒った理由は①スポーツ選手として最低の韓国選手の行為です。しかし更に韓国メディアの一部が②『浦和選手が投げ付けた』の真実を都合良く操作したり、浦和レッズを『極右チーム』とか嘘を流したり話をすり替えたりする韓国メディアの報道です。マスメディアは真実を報道しなくてはならなく、また常に公平で無ければなりません。機会が有れば『竹島問題』と『慰安婦問題』を掘り下げますが韓国政府と韓国メディアが意図的に報道すれば多くの国民は信じます。それは日本も同じです。健康情報も同様でスポンサー等の圧力で情報を都合良く操作して放送するという信じ難い事が無きにしもあらず。前置きが長くなりすぎました。先日ランニング中に横断歩道を渡っていたら信号待ちしている車の窓が開き中から灰皿が。そしてバラバラと道路に吸殻を棄てました。『クソジジィ(もう最後ですのでゴメンナサイ)』と立ち止まって思いっきり睨んでやりました。日本でも韓国でも世界共通『ポイ捨て禁止!ポイ捨て反対!』です。自分の車の中さえ綺麗で有ればいいの?
しかしその後も多くの不妊治療希望患者が後を絶たず妊娠、出産を繰返し喜び、喜ばれ感謝されて『やっぱり一人でも多く妊娠の手伝いをして無事出産してもらいたい』と思うようになりました。でも片時も彼の家族の事を忘れた事がありませんでした。なかなかその話題を切り出せず飲み会の日に。そして私は意を決して彼に尋ねました。『私は不妊治療をして良かったのか』と。彼は満面の笑みを浮かべ間髪入れず『勿論』。そして『今の仕事、今の目標は子供が居なければ思いもしなかった事。だから生まれてきてくれて本当に良かった』と。(注:本来『障害者』という言葉には抵抗が有りますが分かりやすいように使わせて頂きます。ご理解下さい)彼は今、障害の有る子供が本当の意味(多くの会社は重要な仕事をさせず時間が経過するのを待っている)で働ける状況に無い社会を変えようと市や政治家や会社や出資者に掛け合い彼等が本当の意味で戦力として働ける会社を作ろうと動き、もう既に『理想の会社』を作り上げているのです。また一人でも多くの障害者の雇用を促進する努力を企業に働きかけています。今後の展開としては彼等が学校を卒業した時に『何も困らず即戦力になる』実践的な学校を創ろうと画策しています。帰宅すると恥ずかしながら号泣してしまいました。何年もの間、胸に突き刺さったトゲが抜けたような安堵感と同時に『障害』という言葉だけで心のどこかで差別していたのではないか。また妊娠は時が来れば自然に出来ていたのに不妊治療をした事を実際は、気付かないうちに『驕り』になっていた事が恥ずかしかったのです。色々な気持ちが交錯して一睡も出来ませんでした。胸の傷痕は『驕りの戒め』として一生残しつつ新たな生命の誕生のお手伝いを今後もしていきます。きっと今後も彼には頭が上がりません。
器が大きくて人の事を思って相手を傷付けず底抜けに明るくて常に前向きで。そんな同級生が発した言葉に救われました。中学時代に一度も同じクラスにならず部活動も違うし接点が全く無かったので在学中一度も喋った事が無かったのですが、中学生とは思えない存在感の有る男でした。そんな彼だから同級生というだけで『貧乏治療院』が少しでも流行るように気を遣って今でも来てくれます。先日、中学時の共通の恩師が名古屋に来たから(兵庫在住)一緒に呑もうと彼が誘って来ました。しかし平日なので私は仕事も忙しく次の日の事を考え失礼ながら乗り気ではありませんから何度も断りました。でも当日まで誘ってくれたので根負けして行きました。『楽しかった!』本当に行って良かった!久々に恩師や同級生に会って凄く刺激を受けたのが良かった。しかしそれは彼が気を遣ってくれたからこそ。遅れて来た私を恩師の横に座らせてくれ話し易いように話題を振ってくれてと最高の夜でした。きっと接待を受ける側とはこんな感じなんだろうなぁ。彼との久々の再会は数年前に遡ります。彼の奥様が来院された時に子供が無く病院で不妊治療をするも上手くいかず諦めかけている事を知って「不妊治療してみましょう」と持ち掛けたのでした。幸い妊娠出産となったのですが少しだけ障害のあるお子様でした。私は自分を責めました。来る日も来る日も自分を責めました。そして不妊治療を止めようと真剣に思いました。
3月6日のブログを読み直して下さい。最悪の事態が現実になってしまいました。まだ事件の全容は分かりません。しかし事件が発生してしまった事は事実。3月6日のブログの『歩道でも安心しないで』の忠告が届くはずも無く悲劇が。凄く勝手かもしれないですが全快堂の患者さんだけは、このブログを読んでいる人だけは注意して下さい。3月6日のブログには『ゴールデンウィークぐらいまでは注意』のニュアンスになっています。しかし日頃注意するのは当たり前ですが、その後に熊本の震災が発生したのと、急激な円高による国内経済の低迷が国民に将来への失望感を持たせてしまった現在では6月の梅雨明け迄は十分注意して下さい。気持ちを制御出来ない人は自暴自棄になり易い時期ですので再度『歩道でも安心しないで下さい』ね。そして自分が変にならないように最良の方法は座禅と丹田に灸をする。日常生活では足を冷やさない。具体的には家の中でも裸足は良く無く、草履やサンダルの素足も本当は良く有りません。気持ち良さや見た目の良さ(ファッション)か健康のどちらを選ぶかは貴方次第。無論『全快堂の治療が最高ですけどね』ってまたも宣伝かよっ!
長文です。各地で震災が頻発して完全復興していないうちに次の震災が発生して大混乱。平和ボケの日本人には辛く、それが困難に打ち勝つ力を削いでいるかも。昔の人は何の援助が無くても立派に復興してきました。義援金も救援物資も待っていても来る筈もない時代。何度も空襲に有っても立ち上がりバラック小屋からの復興。その強さの違いは?人は一度上がった生活レベルを下げる事が出来ません。震災で色々失った場合、上品な家庭で育ったお嬢様が極貧生活の家庭で生活するようなもの。例えば戦国時代の農家なら電気も水道も無く土間にゴザを敷いての生活でしたから今回のような震災が有っても日常生活を戻すには簡単かも。しかし現在は水道が無ければ、電気が無ければ、冷暖房完備の快適生活まで引き上げないと復興したとは思えません。コレは個人だけでは無理な事です。決して贅沢な生活では無いのですが『便利な生活』には違いありません。それを知ってしまった現代人にとっては自然回帰は難しいのです。ならばどのレベルまでを国に頼るのか?若い人は今後の人生が有るので頑張れるかも。また小さい子供が居るなら立ち止まってはいられないから『以前の生活を取り戻そう』という意欲も。しかし高齢者は?昔は大家族だったから高齢者も家族の一員として出来る範囲で復興の手伝いをしていたでしょう。でも震災前から独り暮らしだった高齢者が『1日も早く日常生活を』取り戻す気力を持てず絶望してしまうのが現実なんです。そのケア無しで復興は一向に進みません。熊本一色のマスコミによって震災前と何も変わっていない福島も忘れず支援の継続しなければ。しかし原発問題が無いので熊本や大分の方が復興は早いかもしれません。無能な政治家を含めた私達が一刻も早く考え無ければいけないのは復興の明確な基準です。明日にでも他の地域で震災の可能性が有ります。もし次から次に震災が起こったら国はどのレベル迄、復興支援をするのかという基準を早急に作らなければ。震災の規模や被害額は区々です。でも震災が多発したら混乱して支援がバラバラに。出来る時は出来る限りやるのは当然です。集まった義援金は均等に地域で分配すれば良い事です。でも国の方針として国家予算を被災地には幾ら、被災者一人に幾ら、全壊家屋、半壊家屋には、肉親を亡くした家族には等を事細かに作っておかなければいけない筈。多発という最悪の事態が現実味を帯びてきた今だからこそ明確な基準作りが急がれるのでは?
えっ『男と女の話』って終了したんじゃ無かったの?と聞こえてきそうです。私もそのつもりでしたが『つもり』が積もり積もって(オヤジ~!)とうとうpart8までに。実際は子供がいない、子供を作らない夫婦も居ますし、子供が成人して家から出て行く家庭も。すると『夫婦だけ』の時間になる訳で、そちらの方がよっぽど長い事が多いのです。他にシングルが好きだったり結婚が面倒な人も居ます。また将来「子供だけ欲しい」という人も居ますから卵子精子の冷凍保存も考えられたのです。自営業でないと夫婦が意外と「相手の事を知らない」なんて事が多いのには驚かされました。「そんな事は無いでしょう?」と言われるかもしれませんが熟年離婚は退職後に朝から晩まで在宅する相手に失望した結果と。男を代表して『千鳥風』に弁解します。『部長様、退職したら、ただの人』だから部下はいないんじゃ~。本人は命令しているつもりはないんじゃ~。『何処に行くんだ?誰と会うんだ?何時に帰ってくるんだ?俺の飯は?』電話が鳴ったら応えるのに必要だから聞いただけなんじゃ~。会社の癖なんじゃ~。決して責めてもいないし悪気は無いんじゃ~。だから怒らんといて欲しいんじゃ~。あんたはええよ。友達も多いし色々誘われるから。わしは退職したら誰もおらんのじゃ~。猫しかおらんのじゃ~。その猫もお前が帰って来たらお前の膝の上に行ってしまうんじゃ~。在職中は仕事優先で家庭を顧みずすまんかった。でも一言だけ言わしてくれ。俺が働いたから生活出来たんじゃないかなぁ?おっと(夫だけに)!お父さん!ソレが駄目なんですよ。家族の協力が有ったから仕事に専念出来たんですよ。衣食住の管理と今までは妻帯者じゃないと信用もされにくかった時代。だから私が言いたいのは夫婦は『戦友』なんです。共に大変な時代を、各々の立場でそれなりにやってきたんですよ。だからお互いを尊敬して最期の日まで一緒に過ごしましょう。でもまだ納得していない人には『この世は修行』と考えて下さい。来世は幸せな結婚生活をして下さい。私は誰に言っているんじゃ~。本当に『男と女の話』は終了です。まだ書き足りないけど今回は一応終了。続編をお楽しみに!ご清聴ありがとうございました。んっ?
話が長期・多岐になってしまいましたが『男と女の話』の最後に『ふれあい』という言葉について考えてみましょう。『心のふれあい』等の言葉も有りますが原点は『ふれあい=触れ合い』です。無意識に犬や猫を『撫でる』事をしますよね。その行為なんです。夫婦、子供に恥ずかしがらずに触れてあげて下さい。すると相手は自然に肩の力を抜いて溜め息を深く吐くのです(副交感神経優位)。それが『最高の癒し(リラックス状態)』です。私も治療家なので精一杯の触れ合い(私の場合は「手当て」)をしています。しかし『最愛の人』からの触れ合いには遠く及びません。肌には不思議な力が有るのです(色々有るから聞いてちょっ)。また心には『優しい言葉』です。言葉にも不思議な力が有るのです(言霊=ことだま)。ヒトは一人では生きていけません。大事な人と話す、遠方なら電話で少し話すだけで良いのです。『元気?』『なんか困ってない?』『大丈夫だよ』の一声を掛けてみて下さい。マザー・テレサは『愛の反対は無関心です』と。全快堂には有りませんが世間はゴールデンウィークです(泣)。夫婦の在り方、家庭の在り方、子供との関係を見直して『我が家は幸せ』と改めて実感しましょう。個々の家庭が幸せになれば国民が幸せになる訳です。でも実際は「独り暮らし」や「一人ぼっちの人」「誰にも関心を向けられていない」と感じている人が多い為に、人は『癒し』を求め、それに伴い癒しを売りにするビジネスが増えるのです。政治による『幸せトップダウン』は期待出来ません。『政治によるトップダウンなんて元々無いんだ』と政治家は言うでしょうね。ならば日本より貧しいブータンの国民の幸せ意識は?全く期待値ゼロ(マイナス?)の国で生きる私達は、せめて全快堂の患者様だけは幸せになりましょう。その為には『心身ともに健康で無ければ』いけません。私も微力ながらお手伝いさせて頂きます。一週間に渡って読んで頂きましてありがとうございました。また不愉快にさせる言葉の数々、何卒お許し下さい。『言霊』を家族で、身近な人々と優しい言葉のキャッチボールして実感して下さい。そして肌の触れ合いに挑戦して下さい。長くなってしまいました。やっぱり『男と女の話』はパンドラのでした。 〈おわり〉
『男と女の話』で子供が登場したのは子供も男と女で有り、男と女の延長には子供が有るからです。『子育て』こそが『一人前の人間形成に欠かせない』とも言われるので偉そうに大人が上から目線で『教えているのは私達』なんて思っていたら大間違いで『子育てで多くの事を学ぶ』事を忘れずに(親育)。子育て最大の収穫は『我慢』です。夜泣きや夜間の授乳で睡眠時間が不足。教育費を含めて何かと金と時間が必要なので行きたい処、買いたい物、やりたい事を我慢しなければ。『何故そんなことが我慢出来るの?』人間形成にはコレが必要なんです。話は変わって男と女とは限りませんが人は個人で有るので、人と人の間には境が有ります。だからこそ私は常に境=壁をオープンにしています。私と相手との境には相手の壁が一枚だけになります。すると人には二種類存在すると分かります。自分の壁を壊す人と壊さない人です。前者は信用出来る人です。確かに半分壊す人も居ますが最終的に壊すか壊さないかに分かれます。『金が無い』というと人は『潮が引く』ように『退いて』いきます。当然の事でしょうが『この人の「人に対する判断基準」は金なんだ』と分かります。借金の申込をしたのでも無いのに(笑)。私の経験上『金が基準』の人は信用出来ない人が多いです。仕事上や表面上の付き合いはしてもプライベートの付き合いは避けた方がいいと思います。そして仕事も現状以上に発展させない方がいいと思います。昔から『金の切れ目が縁の切れ目』と言われる通り、いざとなると裏切るタイプですから。此方からワザワザ縁を切る必要は無いですけどね。結婚前の付き合い方は大事な期間なので相手を見極めるには良い時間です。世間体を度外視すれば同棲すると相手の色々な面が垣間見え『未来予想図(byドリカム)』が描けるでしょう。ただしフィアンセは別として『三輪明宏』さんは「人との付き合いは腹六分」と言っているように壁を壊しても相手にもプライバシーが有ります。よく何でも相談したり、いつも一緒に居たり常に行動を共にしたり、家族ぐるみで付き合ったり。勿論、仲がいいのは良い事ですが一線だけは越えないように。土足で踏み込むのは『腹を割った付き合い方』とは違います。くれぐれも勘違いしないように。つづく
本来、経済的豊かさと心の豊かさはイコールではいけないのです。貧困でも幸せな人は沢山居るのです。それを他国の大統領に教えてもらわなければ分からない情けない日本国民は如何なものか。パートナーや子供を抱きしめてあげて下さい(バグ)。そして話す時は相手の目を見て話して下さい。子供とは目の高さまでしゃかんで話して下さい。するとセロトニンやヒトによってはドーパミンも出る癖がつきます。この作用はお互いですから抱いた方も抱かれた方も幸せな気分になり自律神経が安定して心身ともに健康になるのです。家庭内が優しくなり笑顔が増える。子供も笑顔になり少しはイジメも少なくなっていくのでは?そんな甘くなくても幸せな気分は免疫力をも上げます。笑顔を作った人も免疫力が上がります。互いを思いやる優しい、笑顔の多い人は健康にもなり人物形成にも最適と考えます。そこで分かって頂けたと思いますが離婚されようが(片親)母子(父子)家庭であろうが祖父母に育てられようが里親に育てられようが孤児院(言葉が適当で無かったらお許し下さい)で育てられようが愛情いっぱいに育てられれば良いのです。逆に両親が揃っていても家庭内がギクシャクしていたり世間体だけを考えて夫婦を演じているような家庭で育ったのでは幸せホルモンは産生されませんので歪んでしまうかもしれません。つづく