患者の皆様に糖分と油(脂)の恐ろしさを実感してもらっています。すると身体への悪い影響が「たったコレだけで!?」と驚かれます。そうなんです。たったコレだけでという少量で身体が壊れるほど糖分や油(脂)はヒトにとって『毒』なんです。しかし皆様は言い訳に「自分への御褒美」と訳の分からない理由を付けて毒を摂っています。沢山の労働により体力を消費したら本当に御褒美に糖分や油(脂)を摂ることは決して悪くありません。しかし然程動かずテレビを見たりゴロゴロしているだけなのに御褒美ばかり摂っている人は神様の鉄槌が振り落とされると考えて下さい。それはガンかもしれないし糖尿病かもしれないし脳卒中、認知症、寝たきりかも。ライオンは腹いっぱいなら目の前を獲物が歩いていても襲いません。ヒトは空腹が無くても食べる人がいますしテレビを視ながら菓子を食べる人もいます。「たったコレだけ」の積み重ねがアナタの身体を作っていることを考えて下さい。
有名な方が自ら命を絶とうしました。不幸にも御両親は亡くなられたと聞きました。ご冥福をお祈りさせて頂きます、合掌。最初に言いたいのは「どんな理由が有ろうと、どんな辛い状況でも自ら命を絶つことは絶対に許されない」ということ。有名人で在るがゆえの苦しみは一般人には想像出来ない、理解出来ないことは百も承知の上で。また周囲の誰もが同じことを言っているから今さら私ごときが偉そうに言う必要が無いことも承知の上で更に伝えたいし、お願いしたい。有名人で在ろうと無名な人なんて居ませんが敢えて対比として無名な人で在ろうと「影響力の大小」が有っても「命の大小」はありません。どんな人でも選ばれて生まれてきたエリートです。全快堂では不妊治療をしているから命の大切さを痛感します。出来ない方、流れてしまう方、上手く育たない方、色々な方がいます。そんな中で生まれてきたということは「生まれてきただけで奇跡的なこと」なんです。更にその前段階において数多くの精子が卵子を目指して泳ぐも辿り着けず道半ばで倒れて逝った、その屍の上を踏み越えて出会った精子と卵子。それはディズニーのファンタジーやハリウッドの大作や漫画の感動作なんてもんじゃない素晴らしいラブロマンスの上に出来た唯一無二の生命。どれほど素晴らしい物語の末に誕生したものか理解出来ると思います。おっさんが伝えても今一ピンと来ないのは重々承知してはいますけど想像力を働かせて下さい。それならば視点を変えます。生きたいと思っても亡くなってしまう方々が不幸にも居られます。病気や事故、今も行われている戦争で亡くなってしまう方々です。その方々は小さな子供から高齢者まで様々ですが命の重さが有るとしたら同じ筈です。生きたいと思う命が有るのに同じ命を自ら絶つことは許されません。さらに更に偉そうに言わせてもらえれば、立てる•歩ける•走れる等々「少し痺れる」「少し痛い」は命には別状無い状態でも本人にとっては深刻な病状、その僅かな訴えでも「何とか楽にしたい」「改善したい」と悩んでいる一方で自ら命を絶つなんて考えられない。倫理的に不可能ですが、死ぬなら健康な臓器を提供してあげて下さい。生きたいと思ってドナーを待っている方々に臓器提供をしてあげて下さい。私は死んだら全身の使える臓器全てを差し出そうと家族に伝え免許証の裏にも署名する意思表示はして有ります。献体もして解剖もして少しでも医学の発展に貢献出来ればと考えています。生きても大したことが出来ないなら、せめて死んでから人の為になることをしたいと願っての考えです。しかし今私は生きています。生かされています。それは精一杯生きて「生かされて」が「活かされて」にならなければ私の人生が無駄なものになってしまいます。その「活かされて」になる違いは『人に少しでも良い影響を与えれるか』に懸っていると考えます。私は立派な人間ではありませんけど患者様方が少しでも楽になって帰っていかれたのならば私は生きてきた意味が有った=活かされた瞬間なのです。いつもの如く話が反れて申し訳ございません。人それぞれの人生が有りますが、どんな人生で有るにせよ「その人生」を自ら絶ってはいけません。何故なら人は生きているのでは無くて「活かされている」からです。一人で生まれて来れない、成長出来ない、たった一人で生きていけない時点で「活かされている」証拠です。それを自分の命だと、自分「だけ」の命だと考えてるから自ら命を絶つなんて考えが湧いて来るんです。人から与えられた命なんだから精一杯生きて出来れば死んでからも使って頂くくらいのことを考えたら自分の身体を大事に使う=少しでも健康を維持して使える臓器を一つでも多く残してお返しするのが本来の生き方と私は考えます。身体はボディで車と同じ。車を廃車寸前にするか何十年前のでも立派に走っている車で返すのか。そう言えば洗車して無いなぁ。
私は「それ食べると体調崩すよ」と『たぶん』分かりますが、皆様は『たぶん』分からないと思います。しかし皆様が『たぶん』分かるようになったら便利だと思いませんか?先程から目障りなくらい『たぶん』と記述しているのは各個人で能力に差(個人差)があるのと、体調の日内変動があるので「分かる」時と「分からない」時があるので、敢えて『たぶん』と記述させて頂きました。自分が食べて良い物か悪い食べ物か?この量は適量か何も使わず分かる方法を皆様に教えますので知りたい人は治療時に聞いて下さい。勿論「絶対正しい方法」ではありません。しかしあくまで「目安」にはなりますので是非覚えて損はありませんから挑戦してみて下さい。
先週は98%の予約率でしたが今週は80%は超えてるものの多少の余裕が有りますって金曜じゃねぇかよっ!さて今週の患者様の訴えの特徴は大きな気温差と暑さでの寝不足、そして気圧の変化も大きく高齢者だけで無く若い人たちでも不調を訴える人が多かったです。どうしても不調から脱却出来ない人は日曜が満員なので今日•明日の空いている時間でお願い致します。但し本日は午後からしかやらないので電話しても居ませんから、ごめんなさい。
くだらない話ですけど「また」ここの投稿内容が新聞に載ってました。勿論同じ内容ではありませんけど。13日の投稿で名駅の『きしめん』について投稿しましたが16日の中日新聞紙面に名駅の『きしめん』について掲載されていました。きしめんですよ、それも名駅のホームの「きしめん」ですよ。ここの投稿内容がメディアに偶然流れることは多々あります。当然偶然でも偶然にしても「きしめん」って。勿論きしめんを軽く見ているのではありません。私は「きしめん」が大•大•大好きだから投稿したのです。でも偶然同じ時に紙面に載りますか?「知ってたんじゃないの?」という疑いの質問までされるくらいの偶然。こんなことなら良いけど、事件に巻き込まれて取り調べで「偶然です」って言っても信用されないケースが沢山存在して昔は誤認逮捕も多かったと思います。誤解されないように発言•行動しなければいけないんですけど私は元来誤解され易いんですよ。でも釈明しません、私のことを分かってくれてる人だけで良いんです。私のことを信じてくれたら今度は私がアナタの為に精一杯治療して何倍も恩返ししているつもりです(何か有ったの?何も無いですけど)。話が反れましたが「きしめん最高!」っす。でも食べ過ぎ、偏食は駄目です。たまに食べるから美味しいんですよ。「最高です!」(by巨人軍•岡本)。
『はしか(麻疹)』の患者が現時点で3名確認されました。その3名の感染経路を調べると同じ新幹線の車両に乗っていた(同じ空間に居た)というだけ。そうなんです「はしかごとき」感染症でも調べてみると大変に恐ろしい疾患なんです。当たり前のことが全快堂に掲示して有ります『ウイルスは永久に無くならない』と。コロナウイルスが5類になって世間ではウイルス自体が弱くなったかのように勘違いしている人々が多くいます。いたずらにウイルスを怖がれと言っているのではありません。正しい生活をしましょうと言っているんです。マスクや手洗い「ごとき」で感染を予防出来る相手ではありませんけど当然やらないよりやった方が良いに決まっています。「はしかごとき感染したって」という人に言いたい。はしかごときでも亡くなる方がいます。体力の有る方は良いでしょうけど亡くならなくても感染して苦しんでいる幼子を見たら、万が一後遺症が残ったりしたら後悔しても遅いんですよ。それならば出来る限り予防しましょうとなります。何かコロナだけがウイルスでコロナが下火になって人類がウイルスに打ち勝ったかのように考えている人々がいます。全快堂は存在する限り予防に煩く生活習慣に煩く言い続けます。だからまた一人『出入り禁止』にしました。影響力の大きな人でしたが躊躇すること無く出入り禁止にしました。患者数が減っても儲けが減っても私は患者様を守る為なら大を切っても小を生かす判断を躊躇無く下します。最後に免疫力は『腸』が大切と耳タコでしょうけど『笑い』も大切です。以前投稿しましたけど先日の新幹線でも私は「はしか」の予防法を実践しました。それは真ん中の席に座ることです。「はしか」に感染した人は何処の席に座っていたか?やっぱり「端か(はしか)」お後が宜しいようで。
先日NHK大河ドラマ『どうする家康?』で阿月の走り方が「なんば走りだった」と投稿しました。ランニング初心者に「つま先重心の走り方(フォアフット)」は難しいことは分かりますけど間違った走り方を教えて腰痛患者を増やすのは如何なものか。足低が着地する時の理想接地面は速度によって変えなければいけません。ウォーキング時は踵からで速度が上がるに連れて「足低中心(ミッドフット)」更に上がれば「足先(フォアフット)」が理想というより、そうしなければ腰痛患者を増やす結果になる=間違った指導法になることを理解しているのか、いないのか以前から甚だ疑問でいました。そんな時にネットをランダムに読んでいると「縄跳びの接地を踵でしますか?」という質問が目に飛び込んで来ました。確かに小さな子供たちでも縄跳びをする時には自然に「つま先」で着地しています。それなのにマラソンのように長距離を走る時に踵からの着地指導法には無理が有ります。確かに初心者の筋力不足の方たちにフォアフット走法は難しいし各部位の故障に繋がります。それならば「せめて」走行時の重心を少しでも前に意識させ「ミッドフット走法」から指導する方法へ統一するべきですが、未だに超有名なランニングコーチがメディアや講演会で踵着地指導を平気で行っているのは疑問です。しかしランニングでは無くてウォーキング時なら拳1つ広めを意識して踵からの着地で結構です。私を含めて「絶対に正しい」のではありませんからメディアが『垂れ流し』している情報を鵜呑みにするのは危険です。
いつもの如く「月曜日•朝•雨」となれば大渋滞!とはいえ今日の渋滞はハンパねぇ~っ!凄いよ、凄いです。今朝は遠方は田原市から来られますけど幸い電車なので良かったです。他の方々は近郊の患者様なので「たぶん」大丈夫だと思います。しかし交通事故は受けても起こしても双方良いことはありません。雨の日は特に安全運転、転倒注意しましょう!
もう少し前になるけど「ある本を読んで」というより本を開いた瞬間に雷の直撃を喰らったほどの衝撃を受けたことが有りました。その本の1ページ目を捲って「はじめに」の最初に書いてあったのは『突然ですが、野菜の種や苗を植えていないのに収穫を楽しみにしている人がいたら、あなたはどう思いますか?』という言葉でした。そして次のページに『「英語を話せるようになりたい」のに英語に触れさえしない。「体を鍛えて健康になりたい」と、何年もスポーツジムを探し続けている。「趣味の分野で起業したい」と考えているのに、調べることもしていない。』と。その後から後から書いてある言葉に「もう止めてくれ~っ!」というくらい惹かれて本から目が離せず時間を忘れ一気に最後まで読破してしまったことを思い出します。恐ろしい本でした。というよりも私が駄目✕2人間だから的確過ぎる指摘が突き刺さってしまった、痛い所を突かれたからなのか。何れにせよ世の中に「重い腰(整形外科的問題ではありません)」で悩んでいる人々が私だけでは無くて多くいることに気が付けただけでも良かったです。人は弱い、人は楽な方へ行き易い、出来れば困難を避けて通る生き物。しかしイチロー氏や大谷翔平選手は『楽な道と困難な道が在れば迷わず困難な道を選ぶ』という趣旨のことを言っています。すると「彼らは特別だもん」「環境が違う」「元々持っているものが違う」という声を聞きます。確かにサラブレッドかもしれません。でもそれが本日の内容です。『ではアナタは努力しましたか?』と。『本気で挑戦しましたか?』『もうこれ以上出来ないと言えるまで自らを追い込みましたか?』から始まり『昨日無駄な時間を過ごしませんでしたか?』『今日のスケジュールは充実していますか?』『今後もダラダラするつもりですか?』と。でもこんなことを書くと休息を否定しているように感じ取ってしまう人がいますけど、それは大きな間違いです。『超回復』ということを以前投稿しました。身体は使えば疲労するから回復する為には休息が必要です(精神も)。その休息する時間が適切であれば能力は向上するという理論です。回復する時間が短ければ疲労が蓄積して故障に繋がります。逆に長過ぎれば着けた筋力は低下し『元の木阿弥』どころか更に低下してしまいます。「昔は」とか「若い頃は」とか言っている人は要注意です。先ずは動く•努力する•やってみる•一歩踏み出してから発言するように。やらない人に限ってシュミレーションが完璧です。「こうしたら斯うなる」「これをやったら駄目だ」そして結論が出ます、やってもいないのに「無理です」と。雨です、少し寒いです、日曜です、多くの人が休んでいます、そして最後は「気乗りしません」と。逆に聞きます、アナタの気乗りは来るんですか?そして世界の中心で叫んでいる私がいます「もう止めてくれ~っ!」と。みんな弱いんです、みんな逃げたい時が有るんです、エヴァンゲリオンのシンジ君のように。でも彼が叫んでいるように『逃げちゃ駄目だぁ~っ!』という時も有るんです。しかし「時も」です。ダラダラ書いたので整理します、私が言いたいことは精神的困難は逃げれるなら逃げてもいい。しかしその事が冷静に考えてみると先送りしているだけだったら「後でやる」では無くて今直ぐに立ち向かうべきです。そしてそれが体力に関係するならば尚更一刻も早い方が良い、何故なら落ちるは早く着くは難しいから更なる困難を招き入れる結果になるからです。分かっているよ、そんなこと言われ無くても!
『新幹線あるある』で乗車率が高くなってくると予約しても隣の席に他人が座る状況になります。グリーン車の2列ずつの隣は広いと言えども隣が来るのは嫌ですけど、最悪は2列と3列で3列側の真ん中に座った時です。迷惑を考慮してか3列の真ん中は両側より多少広く設計されているのですが端の人が賢ければ助かりますがアホだと最悪です。よく有る「どちらの所有物、肘掛け論」が勃発した時です。私が遭遇した『タコ』は通路側に先に座っていました。真ん中に鞄を置いて一人だけなら真ん中は「俺の場所だよ」と言わんばかりの態度で何なら入って欲しくないと使って無いテーブルまで出してバリケードのブロック状態。「すいませんねぇ」と窓側に奥様が座り、
私が真ん中に鎮座しました。するとそのタコが両側の肘掛けをタコの分際でタラバガニのように左右に広げて「俺の肘掛けだよ」と言わんばかりの防御姿勢。そこで「すいません座席を倒したいので肘を退けて頂けますか?」と領土の正当性を主張するも一瞬は退かしたものの座席レバーを使った後はタコが再びカニ状態に逆戻り(かに道楽の看板かよっ!)。少しの時間だから我慢するのが得策と美味しい『しらす弁当』を食べながら僅かな旅行気分をも味わって名古屋駅に到着したんですけど、「ちょっと待った~っ!」と鰹節の薫りが私をホーム端に引き寄せるではありませんか。そうです、名駅名物「きしめん」だぎゃ~っ!これを食べんで帰ったら名古屋人としての威厳に関わるという大問題。G7にバイデン大統領が来なくてもいいが、私が「きしめん」を食べないで帰宅したら全快堂の患者様方の治療効果が半減してしまうではありませんか。新幹線よりも速さでホームを走って素早く食券を買って店に蔓延している出汁の薫りを一気に吸い込み平ぺったい独特の麺を「あげ」「ほうれん草」「かまぼこ」そして鰹節と一緒に流し込んだ次第です。ん~っ満足!これぞ名古屋、たった数時間でしたが名古屋を離れることは大変危険で私の名古屋カラータイマーが激しく鳴り響くことを今回改めて知りました。危なかったです。河村市長とは全く別ものの名古屋愛です。『八十亀ちゃん』をヨロシク!